宇治田みのるさんのインスタグラム写真 - (宇治田みのるInstagram)「-DJ HOKUTO-  出会いは1997年 彼が18歳の春。  世の中は一大DJブーム。 高校生DJやお宅DJも増え 当時の若者が”将来なりたい職業ランキング”には”DJ”がランクインしていた。  そんな世の中の流れを受けて専門学校は 新たな学科を作った。“DJリミックス科”だ。  いち早く着手したのは”学校法人 東放学園”だった。  私は東放学園からの依頼を受け DJリミックス科の初代講師を務める事になった。  その最初の生徒…すなわち第1期生の中に 後にDJ HOKUTOとなる青年 大野北斗は居た。  私のクラスには80人くらいの生徒が居たと記憶している。  その最初の授業で新入生へ向けて私はこう言った。  「100万円近い入学金支払って入って来たお前たちに正直に言うわ。そのお金でClubやDJの本場であるアメリカやヨーロッパに行った方がよっぽど身になったと思う。しかし親にお金を出してもらって入学してしまった以上、オレが教えられることは全て伝えるから2年間頑張って行こう。親のスネかじって入って来たんだから無駄にするなよ」と…  とは言え学校生活が進むにつれ遅刻したりズル休みしたり、はたまた辞めて行ったりする生徒も居た。専門学校あるあるだ。  しかし大野北斗は必ず学校に来ていた 真面目な生徒のウチの1人だった。  そんな中、授業の一環として 真面目に授業を受けている生徒を対象にして 実践でのDJプレイをさせてみようと思い その当時の私のパーティー”Super Flyday”で お客さん前で実際にDJをさせることにした。  数百人のお客さんの前でプレイする生徒の中には 手が震えている生徒も居たが その中で堂々と1番良いプレイをしたのは 大野北斗だった。  こんなことを言ったら身もふたもないが DJリミックス科を卒業したところで 大した就職先は見つからない。 そんな現実が見えて来たから不登校になったり 辞めて行った生徒もいたのだろう。  DJで生活して行きたいなら ClubやDJとの関係性や本人の人間性 そして覚悟が重要になる。  私は大野北斗に聞いた。  私 「真剣にDJでメシを食って行く気ある?」  北斗 「あります!プロのDJになりたいです」  私 「じゃあオレの事務所に入るか?」  北斗 「はい!お願いします!」  青年 大野北斗はその日からDJ HOKUTOになった。 世界のDJ HOKUTOの誕生だ。  事務所ではDJ☆GOが既に活躍していた。 DJ☆GOの指導もありDJ HOKUTOも少しづつDJらしく成長していった。  とは言えDJをするだけがDJでは無い時代。  私のレコード持ちから始まり日々のフライヤー配り。  地方営業も同行させ チケットの手配や宿泊の段取り 帯同するアーティストのサポートなど ありとあらゆる仕事をこなさなくてはならなかった。  きっとDJ HOKUTOの人生の中でもツラい時期だったのではないだろうか…  そんなDJ HOKUTOにこの場を借りて改めて1つ謝りたいことがある。  渋谷のVuenosで毎週末イベントを開催していた時 営業が終わり反省会をしていた。  私を中心に円になり その日のDJの良かったことや悪かったこと 選曲や営業全般に関して話をしている時に DJ HOKUTOはドレッドヘァにしたばかりの髪をずっといじっていた。  私が真剣に話をしているのにずっと髪の毛をクリクリいじっている。  私はブチ切れて 「真剣に話をしてんのに何髪の毛クリクリいじってるんだ!明日坊主にして来い!」  翌日事務所に行くとDJ HOKUTOは丸坊主になっていた。  私は”言われた通りにしてきて反省してるんだなぁ”くらいにしか思っていなかったのだが…  当時のスタッフが私にこんなことを言って来た。  「みのるさん、実は北斗はドレッドヘァにする為に一生懸命に貯金して、やっとあのドレッドヘァにしたんですよ…」  私はドレッドヘァにするのに幾らかかるか知らなかったのだが何と7-8万円はかかったと聞かされた。 当時なら格安ツアーでHawaiiに行ける金額だ。  DJ HOKUTOにはホント申し訳ないことをしたと思っている。あの時はほんとゴメンなさい。  話が少しそれたが その後もDJ HOKUTOを連れてL.A、Las Vegas、San Diego、San Francisco、HawaiiなどでDJをして海外でも数多くの経験を積んでもらった。  DJ HOKUTO自身も自らNETWORKを築き上げて EUROPEで名を馳せるDJに成長した。  そんなDJ HOKUTOの誕生日が 今日3月14日と言うことでここ数日間バースデーイベントがあちらこちらで行われているが 私は3月17日の金曜日に @ortokyoofficial で行われるバースデーイベントに出演する。  私が出会った頃は 酒がいっさい飲めなかったDJ HOKUTOだが 今は毎日浴びるほど酒が飲めるようになった。  是非皆さん @djhokuto のお祝いに乾杯しに来て頂きたい。  #birthday #birthdaybash #djhokuto #ortokyo」3月14日 16時43分 - djminoru.u

宇治田みのるのインスタグラム(djminoru.u) - 3月14日 16時43分


-DJ HOKUTO-

出会いは1997年 彼が18歳の春。

世の中は一大DJブーム。
高校生DJやお宅DJも増え
当時の若者が”将来なりたい職業ランキング”には”DJ”がランクインしていた。

そんな世の中の流れを受けて専門学校は
新たな学科を作った。“DJリミックス科”だ。

いち早く着手したのは”学校法人 東放学園”だった。

私は東放学園からの依頼を受け
DJリミックス科の初代講師を務める事になった。

その最初の生徒…すなわち第1期生の中に
後にDJ HOKUTOとなる青年 大野北斗は居た。

私のクラスには80人くらいの生徒が居たと記憶している。

その最初の授業で新入生へ向けて私はこう言った。

「100万円近い入学金支払って入って来たお前たちに正直に言うわ。そのお金でClubやDJの本場であるアメリカやヨーロッパに行った方がよっぽど身になったと思う。しかし親にお金を出してもらって入学してしまった以上、オレが教えられることは全て伝えるから2年間頑張って行こう。親のスネかじって入って来たんだから無駄にするなよ」と…

とは言え学校生活が進むにつれ遅刻したりズル休みしたり、はたまた辞めて行ったりする生徒も居た。専門学校あるあるだ。

しかし大野北斗は必ず学校に来ていた
真面目な生徒のウチの1人だった。

そんな中、授業の一環として
真面目に授業を受けている生徒を対象にして
実践でのDJプレイをさせてみようと思い
その当時の私のパーティー”Super Flyday”で
お客さん前で実際にDJをさせることにした。

数百人のお客さんの前でプレイする生徒の中には
手が震えている生徒も居たが
その中で堂々と1番良いプレイをしたのは
大野北斗だった。

こんなことを言ったら身もふたもないが
DJリミックス科を卒業したところで
大した就職先は見つからない。
そんな現実が見えて来たから不登校になったり
辞めて行った生徒もいたのだろう。

DJで生活して行きたいなら
ClubやDJとの関係性や本人の人間性
そして覚悟が重要になる。

私は大野北斗に聞いた。


「真剣にDJでメシを食って行く気ある?」

北斗
「あります!プロのDJになりたいです」


「じゃあオレの事務所に入るか?」

北斗
「はい!お願いします!」

青年 大野北斗はその日からDJ HOKUTOになった。
世界のDJ HOKUTOの誕生だ。

事務所ではDJ☆GOが既に活躍していた。
DJ☆GOの指導もありDJ HOKUTOも少しづつDJらしく成長していった。

とは言えDJをするだけがDJでは無い時代。

私のレコード持ちから始まり日々のフライヤー配り。

地方営業も同行させ
チケットの手配や宿泊の段取り
帯同するアーティストのサポートなど
ありとあらゆる仕事をこなさなくてはならなかった。

きっとDJ HOKUTOの人生の中でもツラい時期だったのではないだろうか…

そんなDJ HOKUTOにこの場を借りて改めて1つ謝りたいことがある。

渋谷のVuenosで毎週末イベントを開催していた時
営業が終わり反省会をしていた。

私を中心に円になり
その日のDJの良かったことや悪かったこと
選曲や営業全般に関して話をしている時に
DJ HOKUTOはドレッドヘァにしたばかりの髪をずっといじっていた。

私が真剣に話をしているのにずっと髪の毛をクリクリいじっている。

私はブチ切れて
「真剣に話をしてんのに何髪の毛クリクリいじってるんだ!明日坊主にして来い!」

翌日事務所に行くとDJ HOKUTOは丸坊主になっていた。

私は”言われた通りにしてきて反省してるんだなぁ”くらいにしか思っていなかったのだが…

当時のスタッフが私にこんなことを言って来た。

「みのるさん、実は北斗はドレッドヘァにする為に一生懸命に貯金して、やっとあのドレッドヘァにしたんですよ…」

私はドレッドヘァにするのに幾らかかるか知らなかったのだが何と7-8万円はかかったと聞かされた。
当時なら格安ツアーでHawaiiに行ける金額だ。

DJ HOKUTOにはホント申し訳ないことをしたと思っている。あの時はほんとゴメンなさい。

話が少しそれたが
その後もDJ HOKUTOを連れてL.A、Las Vegas、San Diego、San Francisco、HawaiiなどでDJをして海外でも数多くの経験を積んでもらった。

DJ HOKUTO自身も自らNETWORKを築き上げて
EUROPEで名を馳せるDJに成長した。

そんなDJ HOKUTOの誕生日が
今日3月14日と言うことでここ数日間バースデーイベントがあちらこちらで行われているが
私は3月17日の金曜日に @ortokyoofficial で行われるバースデーイベントに出演する。

私が出会った頃は
酒がいっさい飲めなかったDJ HOKUTOだが
今は毎日浴びるほど酒が飲めるようになった。

是非皆さん @djhokuto のお祝いに乾杯しに来て頂きたい。

#birthday #birthdaybash #djhokuto #ortokyo


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2023/3/14

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