宇治田みのるさんのインスタグラム写真 - (宇治田みのるInstagram)「-想い出のアパート-  私が小学校3年生の頃 父親は仕事で失敗し借金を残したまま 母と私を残して蒸発した。 ほどなくして父は戻って来たが 当然父と母は離婚した。  私の親権は母が持った。 母は父親が残した借金の一部を負担する為と 私を育てる為に夜の世界で働き出した。 今で言うキャバクラ…昔のキャバレーだ。  キャバレーで働き出して直ぐに 母は私を親戚の家へ預けた。  夕方から夜中まで 家に私を独りにしておくのは心配だったのだろう。 私は母の生まれ故郷の親戚の家へ預けられた。  理由は割愛するが 預けられて1年くらい経った頃 毎月親戚から渡される300円のお小遣いを貯めて それを軍資金として交通費に充て 私は親戚の家から家出をした。  親戚や近所の人に見つからないように 竹林や木の陰に隠れながらバス停へ向かい 2時間に1、2本しか来ないバスに乗り 石岡駅へ向かった。  石岡駅から常磐線に乗り上野駅へ向かっていると 何人かの人から声をかけられた。 9歳の子供が独りで電車に乗っているモノだから 「どこへ行くの?」「お母さんは?」 と心配して声をかけられた。  今では誰も意に返さないだろうが 当時は社会が子供を見守っていた時代だった。  上野駅から東京駅へ 中央線に乗り吉祥寺駅へ向かった。  吉祥寺に着いたのは夜の9時くらいだった。 母はキャバレーへ働きに行っているので当然不在。  私はアパートの前で母の帰りを待った。  夜中の2時頃 袋小路の奥にあるアパートへ向かい 砂利の上に石畳みが置かれた通路を 千鳥足で帰って来る母の姿が見えた。  母は酔っている様子で私に気づいていない。 そもそもまさか私が居るとは思っていない。  下を向いてこちらへ向かって来る母が顔を上げた。 母は私がそこに居る事に気付くと 転びそうになりながら小走りで私の元へやって来た。  母 「あんた何やってるの⁉︎どうしてココに居るの⁉︎」  私 「ごめん…茨城に居るのは嫌だ。迷惑かけないからココに居させてもらいたい」  母 「ごめんね、ごめんね、私が悪かった。ココで一緒に住もうね」  酒臭くタバコ臭い身体で思いっきり抱きしめられた。ドラマのワンシーンのようだった。  父と母が離婚する前に住んでいた家は 立派とは言えないが戸建てだった。  離婚後に母が住み出した ここにあったアパートは1DKの小さなアパート。 本当に貧乏でお金が無くて パンの耳をミルクに浸して食べた事が 何度もあった。  けど 小4から中1まで住んだここにあったアパートには想い出が沢山詰まってる。  どんなに苦しくても ここにあったアパートに住んでいた時に比べたら 大体のことは大した問題では無いと思える精神力も培った。  写真を撮って送ってくれたのは今でも交流のある 取り壊されたアパートの隣にある 立派な家のお嬢さんから。  「みのるくんが住んでいたアパート更地になったよ」と送って来てくれた。  何とも言えない寂しい気持ちになったけど ここにはきっと立派なマンションが建ち人が住み そこでまたいろんな人生のストーリーが 作り出されるのだろう。  #アパート #賃貸 #昭和 #離婚 #シングルマザー #離婚調停 #キャバレー #cabaret #吉祥寺 #kichijoji #tokyo #白い薔薇 #ホステス #同伴 #アフター #貧乏 #パンの耳 #milk #1dk #memory #精神力 #更地 #想い出」2月15日 13時46分 - djminoru.u

宇治田みのるのインスタグラム(djminoru.u) - 2月15日 13時46分


-想い出のアパート-

私が小学校3年生の頃
父親は仕事で失敗し借金を残したまま
母と私を残して蒸発した。
ほどなくして父は戻って来たが
当然父と母は離婚した。

私の親権は母が持った。
母は父親が残した借金の一部を負担する為と
私を育てる為に夜の世界で働き出した。
今で言うキャバクラ…昔のキャバレーだ。

キャバレーで働き出して直ぐに
母は私を親戚の家へ預けた。

夕方から夜中まで
家に私を独りにしておくのは心配だったのだろう。
私は母の生まれ故郷の親戚の家へ預けられた。

理由は割愛するが
預けられて1年くらい経った頃
毎月親戚から渡される300円のお小遣いを貯めて
それを軍資金として交通費に充て
私は親戚の家から家出をした。

親戚や近所の人に見つからないように
竹林や木の陰に隠れながらバス停へ向かい
2時間に1、2本しか来ないバスに乗り
石岡駅へ向かった。

石岡駅から常磐線に乗り上野駅へ向かっていると
何人かの人から声をかけられた。
9歳の子供が独りで電車に乗っているモノだから
「どこへ行くの?」「お母さんは?」
と心配して声をかけられた。

今では誰も意に返さないだろうが
当時は社会が子供を見守っていた時代だった。

上野駅から東京駅へ
中央線に乗り吉祥寺駅へ向かった。

吉祥寺に着いたのは夜の9時くらいだった。
母はキャバレーへ働きに行っているので当然不在。

私はアパートの前で母の帰りを待った。

夜中の2時頃
袋小路の奥にあるアパートへ向かい
砂利の上に石畳みが置かれた通路を
千鳥足で帰って来る母の姿が見えた。

母は酔っている様子で私に気づいていない。
そもそもまさか私が居るとは思っていない。

下を向いてこちらへ向かって来る母が顔を上げた。
母は私がそこに居る事に気付くと
転びそうになりながら小走りで私の元へやって来た。


「あんた何やってるの⁉︎どうしてココに居るの⁉︎」


「ごめん…茨城に居るのは嫌だ。迷惑かけないからココに居させてもらいたい」


「ごめんね、ごめんね、私が悪かった。ココで一緒に住もうね」

酒臭くタバコ臭い身体で思いっきり抱きしめられた。ドラマのワンシーンのようだった。

父と母が離婚する前に住んでいた家は
立派とは言えないが戸建てだった。

離婚後に母が住み出した
ここにあったアパートは1DKの小さなアパート。
本当に貧乏でお金が無くて
パンの耳をミルクに浸して食べた事が
何度もあった。

けど
小4から中1まで住んだここにあったアパートには想い出が沢山詰まってる。

どんなに苦しくても
ここにあったアパートに住んでいた時に比べたら
大体のことは大した問題では無いと思える精神力も培った。

写真を撮って送ってくれたのは今でも交流のある
取り壊されたアパートの隣にある
立派な家のお嬢さんから。

「みのるくんが住んでいたアパート更地になったよ」と送って来てくれた。

何とも言えない寂しい気持ちになったけど
ここにはきっと立派なマンションが建ち人が住み
そこでまたいろんな人生のストーリーが
作り出されるのだろう。

#アパート #賃貸 #昭和 #離婚 #シングルマザー #離婚調停 #キャバレー #cabaret #吉祥寺 #kichijoji #tokyo #白い薔薇 #ホステス #同伴 #アフター #貧乏 #パンの耳 #milk #1dk #memory #精神力 #更地 #想い出


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

486

13

2023/2/15

宇治田みのるを見た方におすすめの有名人