日登美さんのインスタグラム写真 - (日登美Instagram)「子育て  もし街中で泣き叫ぶ子供を抱えて 家路を急ぐお母さんを見たら あのお母さん、おかしいんじゃない? と批判せずに うるさいな、泣き止ませないのかしら。 と思わずに どうか温かな目でお子さんとお母さんを 見守ってください  そのお母さんはもしかすると 帰りたがらない子供をなんとかなだめ それでも泣き叫ぶ子供に 今帰って早く寝かせることが大事だからと 子供のためを思って 精一杯、恥も外聞も捨てて家路を急ぐ その途中かもしれません そして子供は疲れすぎて 泣き止むタイミングを 忘れているだけなんです  もし公園で子供を叱り飛ばしてる お母さんと泣いてる子供がいたら そこにも温かい眼差しを向けてください そして手を差し伸べてください  お母さんは一生懸命子供を躾けねばと 義務感から叱っているのかもしれません。 いい母であろうと頑張る真面目な お母さんほど必要以上に厳しくしている ことがあります。  迷惑をかけてはいけない、 という社会のプレッシャーから 怒鳴っているのかもしれません。  言うこと聞かない子を 野放しにしてる母という 世間の眼差しが怖いのかもしれません。  実は自分もそんなふうに 怒鳴られて育ったのかもしれません。  もしかすると、お母さんは孤独な育児で 心身ともに疲れているのかもしれません。  そんな時 酷い母親だねとか、虐待じゃないのとか それだけですまさないでください お母さんも苦しいんです。  泣いてる子供を温かく見守るように その側にいるお母さんも 温かく見守っていきましょうよ 泣きたいのは本当はお母さんの方なんです  お母さんって呼ばれるようになって たった数年なのに、失敗は許されず 周りからジャッジされ、 それでも子供のためにと思い、 躾けは私の責任だと自分に言い聞かせ 社会からもそう期待され それは当たり前だと言われています。  乳幼児との暮らしでは、 睡眠もままならず、食事もろくにできず そんな中、いわゆる理想の家庭と育児を 目指さねばならない。 片付いた部屋、立派なお弁当、 身なりの整った子供。躾けのできた子供。 形に捉われて本当の幸せについて考える 余裕もありません。 本当には子育てはどうしたらいいのかも わからないまま時間は過ぎていきます。  だけど子供のために、母だから当たり前、 親の責任でしょ、自分の責任でしょ、 こうあるべき、というプレッシャーの中で お父さんは会社に取られ、親族は遠く離れ 1人で、乳幼児を抱え かろうじて家事と育児をこなしている それが現代の多くの お母さんの姿ではないでしょうか。  お母さんだから、そんな日々に 耐えられるのは本当に 当たり前なのでしょうか?  批判するのは簡単です。 自分の尺度で判断するのは簡単です。 でも相手の立場に立ってみることは 意外と難しいのです。  だから当たり前、ですませないで。 自分の責任、だけで見放さないで。 親になることは個人的なことでありながら 社会的なことでもあります。 お母さんだって失敗するし お母さんだって人間だから 親だからって全部を押し付けないで みんなで見守っていけたなら  子育ては大変な修行で、大変な偉業です  それは時代を超えて人類が脈々と 続けてきているけれど 決して当たり前に誰もが簡単に やってきたわけじゃない できるわけじゃない 私達大人も、子供のように日々学び 失敗し、反省し、成長の過程です。  そしてそれは1人では決して 成し遂げられないことなんです。  子供が幸せに育つ社会は お母さんが安心していられる社会です。 子供がのびのびしている社会は 大人ものびのびしている社会です。 失敗がゆるされる社会でこそ 人は成長できる。  子育てはいつか子供だったことのある 全ての人に関わることだと思うのです。」12月8日 15時29分 - hitomihigashi_b

日登美のインスタグラム(hitomihigashi_b) - 12月8日 15時29分


子育て

もし街中で泣き叫ぶ子供を抱えて
家路を急ぐお母さんを見たら
あのお母さん、おかしいんじゃない?
と批判せずに
うるさいな、泣き止ませないのかしら。
と思わずに
どうか温かな目でお子さんとお母さんを
見守ってください

そのお母さんはもしかすると
帰りたがらない子供をなんとかなだめ
それでも泣き叫ぶ子供に
今帰って早く寝かせることが大事だからと
子供のためを思って
精一杯、恥も外聞も捨てて家路を急ぐ
その途中かもしれません
そして子供は疲れすぎて
泣き止むタイミングを
忘れているだけなんです

もし公園で子供を叱り飛ばしてる
お母さんと泣いてる子供がいたら
そこにも温かい眼差しを向けてください
そして手を差し伸べてください

お母さんは一生懸命子供を躾けねばと
義務感から叱っているのかもしれません。
いい母であろうと頑張る真面目な
お母さんほど必要以上に厳しくしている
ことがあります。

迷惑をかけてはいけない、
という社会のプレッシャーから
怒鳴っているのかもしれません。

言うこと聞かない子を
野放しにしてる母という
世間の眼差しが怖いのかもしれません。

実は自分もそんなふうに
怒鳴られて育ったのかもしれません。

もしかすると、お母さんは孤独な育児で
心身ともに疲れているのかもしれません。

そんな時
酷い母親だねとか、虐待じゃないのとか
それだけですまさないでください
お母さんも苦しいんです。

泣いてる子供を温かく見守るように
その側にいるお母さんも
温かく見守っていきましょうよ
泣きたいのは本当はお母さんの方なんです

お母さんって呼ばれるようになって
たった数年なのに、失敗は許されず
周りからジャッジされ、
それでも子供のためにと思い、
躾けは私の責任だと自分に言い聞かせ
社会からもそう期待され
それは当たり前だと言われています。

乳幼児との暮らしでは、
睡眠もままならず、食事もろくにできず
そんな中、いわゆる理想の家庭と育児を
目指さねばならない。
片付いた部屋、立派なお弁当、
身なりの整った子供。躾けのできた子供。
形に捉われて本当の幸せについて考える
余裕もありません。
本当には子育てはどうしたらいいのかも
わからないまま時間は過ぎていきます。

だけど子供のために、母だから当たり前、
親の責任でしょ、自分の責任でしょ、
こうあるべき、というプレッシャーの中で
お父さんは会社に取られ、親族は遠く離れ
1人で、乳幼児を抱え
かろうじて家事と育児をこなしている
それが現代の多くの
お母さんの姿ではないでしょうか。

お母さんだから、そんな日々に
耐えられるのは本当に
当たり前なのでしょうか?

批判するのは簡単です。
自分の尺度で判断するのは簡単です。
でも相手の立場に立ってみることは
意外と難しいのです。

だから当たり前、ですませないで。
自分の責任、だけで見放さないで。
親になることは個人的なことでありながら
社会的なことでもあります。
お母さんだって失敗するし
お母さんだって人間だから
親だからって全部を押し付けないで
みんなで見守っていけたなら

子育ては大変な修行で、大変な偉業です

それは時代を超えて人類が脈々と
続けてきているけれど
決して当たり前に誰もが簡単に
やってきたわけじゃない
できるわけじゃない
私達大人も、子供のように日々学び
失敗し、反省し、成長の過程です。

そしてそれは1人では決して
成し遂げられないことなんです。

子供が幸せに育つ社会は
お母さんが安心していられる社会です。
子供がのびのびしている社会は
大人ものびのびしている社会です。
失敗がゆるされる社会でこそ
人は成長できる。

子育てはいつか子供だったことのある
全ての人に関わることだと思うのです。


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2023/12/8

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