草刈民代のインスタグラム(tamiyo_kusakari_official) - 8月25日 17時16分
「すなはまのバレリーナ」
絵本の推薦文を書かせていただきました。
これは、日本のバレエの母と言われるエリアナ・パブロワ先生のお話です。
主人公の少女は牧阿佐美先生。牧先生のお母様であり、バレエの先生でもあった橘秋子先生が、ご自身のバレエの先生であるパブロワ先生のお話を娘に伝える形で物語が進んでいきます。
エリアナ・パブロワ先生はロシア革命から逃れ、ヘルシンキ、ハルビン、上海を経て、母と妹と共に1919年に日本に辿り着きました。
まだバレエが日本に存在していない時代。パブロワ先生は横浜のゲーテ座などを中心に居留地での公演や、ソシアルダンスを教えることで生計を立てていたといいます。
その後、バレエも教えるようになり、1927年、現在の鎌倉市七里ガ浜に日本初のバレエの稽古場を建て、本格的にバレエ教室やバレエの公演活動に取り組みます。
2014年にパブロワ先生のドキュメンタリー番組に出演した際知ったことですが、パブロワ先生は日本に着いて数年経った頃、当時のサイレント映画に出演しています。化粧品の広告のモデルになったこともあったそうです。
1933年には帰化しました。日本名は霧島エリ子。
そして1941年、日本の兵隊たちのために訪れた慰問先の南京で病に倒れ、亡くなります。
時代に翻弄された人生。パブロワ先生は大劇場で踊っていたバレリーナではなかったそうですが、ロシアから日本に辿り着き、生活するために教え始めたバレエは、波瀾万丈のパブロワ先生の人生を支え、さらに日本にバレエを根付かせる大きなきっかけとなりました。
絵本のなかで、パブロワ先生は橘先生にこう言います。
「あなたは、自分のバレエ学校をひらきなさい。そして、たくさんの日本のバレリーナを育てるのです。
どこへいっても、なにももっていなくても、身につけた踊りは一生の財産になるのですから」
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推薦文です。
日本にバレエを根付かせてくださったエリアナ・パプロワ先生。
そして、まだバレエがどういうものかわからなかった時代に、バレエのとりこになり、母と娘で人生を捧げてきた橘秋子先生と牧阿佐美先生。
わたしがおどってこられたのも、今、みなさんがおどっているのも、この時代の先生方が手さぐりでがんばってくださったおかげです。
そしてこれから先も、みんなの努力が日本のバレエの歴史をつないでいきます。
牧阿佐美バレエ団出身
草刈民代
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2022/8/25