中井智彦のインスタグラム(nakaitomohiko) - 11月3日 10時52分


●中井智彦の「ミュージカルトレインなかい号」Vol.2-①

ミュージカルを中心としたカルチャーについて語り尽くす連載の第2回。僕の運転する「ミュージカルトレインなかい号」に乗って、皆様を素敵な旅にお連れいたします。

今回のテーマは、僕が、出会ってからその魅力に惹かれ続けている詩人「中原中也」です。今日も3つの停車駅に停まりながら、中也の魅力を紹介していきたいと思います。
中井智彦ファンクラブ では、会員ページにて、こちらの内容をwebラジオとして公開していますので、そちらも是非チェックしてみてくださいね。

それでは「詩人・中原中也」の旅へ出発進行!

みなさんは、中原中也という人をご存知でしょうか?
「サーカス」という詩を、教科書で読んで覚えている方も多いかもしれません。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という一節が印象的な、あの詩を書いた詩人です。
中原中也は、常に「芸術」を追い求め、「芸術」に生きた人でした。わずか30年という短い生涯でしたが、その人生は波乱に満ちたていました。
中也は、山口県に代々続く医院の長男として生まれ、神童と言われるほど優秀な子供でした。文学に傾倒していくと共に、成績は落ち込んでいきましたが、次第に文学で生きていきたいという思いを強くします。16歳の時、運命の女性、長谷川泰子に出会います。夫婦さながら同棲までしていましたが、泰子は、やがて中也の親友である小林秀雄と恋仲になり、中也の元を去っていきます。
26歳で、中也は泰子とは別の女性と結婚しました。長男が生まれ、たくさんの詩を書き、久々に穏やかな日々を過ごしていた中也でしたが、可愛がっていた長男が、たった2歳で病死。中也は、その悲しみから、心身ともに衰弱し、翌年その生涯を終えました。幼い頃に体験した弟の死、友人の死、恋人、友人との別れ、息子の死、そして自分の死…。多くの悲しみや苦しみの中でも、中也は、常に書き、芸術を追い求め、表現し続けた人でした。

★最初の停車駅は「中原中也との出会い」
僕が最初に出会った中原中也の作品は、教科書に載っていた「サーカス」でした。「幾時代かがありまして…」の節がメロディに聴こえて、頭の中に、言葉と音が一緒に流れる感覚を味わったのを、今でも覚えています。
次に中也に出会ったのは、それからだいぶ先、劇団四季にいた29歳の時。俳優の方々が寄贈した本が溢れる四季の図書館で手に取った「中原中也全集」でした。意外なことに、詞のページは三分の一程しかなく、あとは日記や評論や小説が載っていて、そこには、彼がどう生きてきたかという布石が詰まっていました。
元々僕は、詩を読むことに対して、それほど興味は持っていませんでした。でも、「何年何月何日にこういうことがあった」という日記の文章を読み、「何年何月何日にこの詩ができた」という記録を見ると、この出来事の後にこの詩を書いたんだということが分かり、詩を読めば読むほど、そのバックボーンを知りたくなって、夢中になっていきました。愛する人への想いや、裏切り、嫉妬といった感情が、中也を突き動かし、その反発感から生まれるエネルギーが、彼をより芸術的にしていったのを感じ、魅かれていったのです。


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2020/11/3

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