太田康介のインスタグラム(kosukeota.7) - 5月2日 20時13分


第五回

毎日毎日SNSを邪魔してしまいすいません。もう少しで終わるのであとちょっとだけお付き合いください。笑

2014年、新しくJ3が新設されました。

2013年FC町田ゼルビアで出場機会を失っていた自分にシーズン終了後にツエーゲン金沢の森下監督からオファーが届き、移籍を決断しここから4年間ツエーゲン金沢で過ごす事になります。

ツエーゲン金沢での4年間でJ3、J2合わせて137試合13得点。プロになって1番沢山の試合に出場する事が出来ました。森下さんは3年間、柳下さんは1年間、二人とも本当に勉強になったし、特に森下さんには本当にお世話になりました。

その4年間の中で痺れるゲームが二つあるんだけど一つは2014年J3優勝を決めるアウェー琉球戦。阿渡なんちゃらってやつがゴール?クロス?を決め初代J3チャンピオンになり自身2度目のJ2昇格を決めれたゲーム。
もう一つは2016年栃木との入れ替え戦。二戦合計3-0で勝利し、J2残留を勝ち取りました。人生の中でも屈指の痺れるゲームでした。

J3優勝、そして翌年の2015年J2前半戦の半分を終えて2位?首位?という快進撃。後半戦はあまり勝てなかったけど、それで自分達を取り巻く環境がみるみるうちに変わっていきました。最初は練習場も転々としていたのに金沢市や沢山の方の寄付のおかげであっという間にクラブハウスが出来、練習着もチームで管理されるようになり、お昼ご飯もクラブハウスで食べれるようになり、J1ライセンスも取れプロクラブとしてあっという間に2015年で成長していきました。今でこそ当たり前だけど当たり前じゃなかったんだよね。

サポーターの数もどんどん増えていき、本当にクラブの成長を肌で感じ、自分も沢山の成長をさせてもらった4年間だったなと思います。
移籍してきた時はすでに31歳。チームでも最年長で、ベテランと言われる域に達してましたがここでの4年間はプロサッカー選手として、そしてJリーガーとして1番充実した4年間だったなと。契約満了でチームを去る時にはここで引退しても悔いはないなと思えるほどでした。

はーいやべっちに出れたのも良い思い出だし。笑

ツエーゲン金沢を愛するサポーターの皆様。皆様の熱い声援があったからいまのツエーゲンがあると思います。そして皆様が熱い声援を送ってくれたから頑張れました。ゴールを決めてゴール裏に走って行くのが最高に気持ち良かったです。これからもツエーゲン金沢を熱く支えて行って欲しいです。

ツエーゲン金沢がJリーグの舞台で活躍し、J1へ行ってくれる事を楽しみにしています。
キャプテン廣井選手、頼みますよ。

そして移籍した今も太田会なる5番をつけて応援してくれている皆様。
本当にありがとうございます。これからも太田康介を宜しくお願いしますね!! 金沢で出会った仲間たちは本当に今でも仲良くしてもらっていて、良かった時も苦しかった時もみんなでそれを乗り越えてこれたのは自分の中での大きな財産です。いつかコロナが落ち着いたらzoomではなく金沢で飲みましょう。

肉バルキッチンも行きたいし焼肉NOBUも行きたいしmasaobarも行きたいしおにぎり屋みつやはちょっと悩むけど一応行こうかな。

山藤、水永、佐藤洸一みんなJFLで頑張ってます。でも太田、野田、阿渡がいるラインメール青森の応援を一番によろしくお願いしますね💪💪💪 あ、洋平もしっかり頑張れよ🤫

本日も読んでくれてありがとうございました。

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2020/5/2

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