こうやもゆのインスタグラム(1001moyu) - 4月13日 02時04分
歌一本で生きていく立派な歌手になりたいわけではなく、その才能もないのに、こうやもゆは、なぜわざわざライブをするのか、という話。
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料理もお絵描きも音楽も、そういうものは、下手でも、不慣れでも、不向きでも、誰かを苦しませるわけじゃないし、やっちゃいけないなんてことは無いはずなんだけど、なぜか幼少期からずっとね、ときめくメロディーに出会って好きな曲を聞き感動するたび、
「自分はきっと一生どんなに頑張ってもここまでの作品をうみだせるわけがない。だから、曲作りだけはやるだけ無駄だし、やるとしてもゴミを生産するだけだから本当に意味がないこと」
と思い続けていた。
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絵が下手な人が絵を描いているところを見ても、きっと誰も、くだらないから描かなきゃいいのになんて言わないだろうし、スポーツが下手な人がいても、運動向いてないんだからわざわざやらなくてもいいのにとか思わないのに、なぜか音楽にだけ、どうせわたしなんて、っていう、めんどくさい卑屈な思いがあった。
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今もそういう気持ちの名残りがまだ頭の中にあるけど、ここ数年やっと自分で作詞作曲した曲を人前で歌う機会ができて、めんどくさい卑屈な気持ちが僅かに減ってきたような気がする。
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わたしにしか歌えない歌があるから!とか、自信持って言える日はこないと思うし、実際わたしにしか歌えない歌なんてものは本当に無いと思っている。
実力も自信も積み重ねてきた過去もないからわたしの絵も言葉も音楽も偽物。偽物だらけ。だけど、やめない。
わざわざおそらくたいして向いてないことに時間費やして、やめない理由はなんだろうって最近よく考える。
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本物に近づきたいとか、本物になりたいとか、そういう気持ちではない。
きっと手段はなんでもよくて、ただ愛情を素直に受け取るリハビリに近いんだと思う。
自分で自分をなかなか認められないし、誰かがわたしをほめてくれたり好きになってくれてもなかなか受け取れないけれど、わたしに会いに来てくれた人が笑顔になってくれるたびに、卑屈なわたしの心がすこしだけ柔らかくなって、自尊心を保つ、あるいは培う大切なひとつになっていることだけはわかる。
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この先わたしが、この、ある種トレーニングかのようなあれこれを重ねた末、いつかすっかり素直に人からの愛情を受け取れて、かつ、自分のことを、とっても大切に思える人間として、健やかなメンタルを持てるようになる日が来たとしたら、また全然いまとはちがう歌をつくるかもしれないし、もしくは全てやめてしまうのかもしれない。今はわからないけど、なんとなく、今夜そういうことを考えていたことを書こうと思っちゃったので長々書きました。あーあ。はやくいろんなことに動じない人になりたいなー!!!!!!!!!!!
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2017/4/13