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( サッカー日本代表フォルトゥナ・デュッセルドルフ )

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原口元気のプロフィール

名前:原口元気(サッカー選手)
生年月日:1991年5月9日
出身地:埼玉県

原口元気は小学校時代から注目されていたサッカー少年で、そのドリブルの秀逸さから、「江南の鷹」と呼ばれていたほど。所属していた江南南サッカー少年団のエースとして出場した、2003年の第27回全日本サッカー大会と全日本フットサル大会で優勝をおさめると、2004年にはユースとしてボーイズマッチ・FC東京戦で浦和レッズのユニフォームを着て埼玉スタジアムのピッチに立っていたのだ。本来だったら中学時代はジュニアユースとして活動するものの、この時代から飛び級してユース。このころから将来が期待されていたのだ。浦和レッズのユースチームに入ってからも注目度は高く、浦和レッズの提携先であるFCバイエルン・ミュンヘンに練習生として2年間のオファーを受けることもあり、2008年5月にはJリーグ公式戦に出場できる、浦和レッズの2種登録選手になり、早速ナビスコカップで公式戦デビューを飾ったのだ。また、同年の開催された高円宮杯第19回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会の決勝に出場して優勝に貢献するなど、その勢いはとどまることを知らず、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選ばれるなど、日本代表への道も切り開いたのだ。
そして2009年1月30日に日本人として浦和レッズ史上最年少で浦和レッズとプロ契約を交わし、高校生ながらプロサッカー選手になると、同年3月にプロとしてJリーグに初出場を果たし、4月に初得点を決め、浦和レッズの日本人最年少ゴールも記録した。当時の浦和レッズ主力メンバーのケガなどもあり、原口元気はプロ1年目からスタメンに定着し、32試合に出場するほど浦和レッズの欠かせない選手としてプロデビュー1年目を終えた。

浦和レッズとしてだけでなく、日本代表としも招集されるようになった原口元気は、ロンドンオリンピック出場に向けたU-23日本代表メンバーにも選出され、予選での活躍はあったものの、本大会のメンバーには選ばれなかった。原口元気のA代表としてのデビューは2011年10月。キリンチャレンジカップのベトナム戦だった。この年、浦和レッズでの激しいポジション争いのなかレギュラーを獲得していたこともあり、日本代表と浦和レッズ、どちらもの試合に出ていたことでコンディションが落ちてしまっていたとか。それでもリーグ戦トータルで浦和レッズトップの9得点を獲得する活躍を見せ、ナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞した。主力選手の多い浦和レッズではなかなかスタメン定着も難しかったものの、2013年には初めてリーグ戦で2桁の得点をあげる活躍を見せると、2014年には浦和レッズのエースナンバー「9番」を背負い、浦和レッズのエースストライカーとして認められたのだ。
好調期を迎えた原口元気は、同年5月にドイツのトップリーグであるブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ完全移籍を決断。ユース時代から原口元気を育ててきた浦和レッズを旅立ち、ヘルタ・ベルリンと4年契約を交わしたのだ。移籍先となったヘルタ・ベルリンには、原口元気よりも一足先に移籍していた細貝萌も所属していて、2人ともJリーグ時代には浦和レッズでいっしょにプレーをしていた。原口元気は公式戦デビュー戦で移籍後初ゴールを決めるなど、ドイツでも十分な存在感を見せたものの、試合中に負傷してチームを離脱することもあった。しかし、ケガからの復帰後に出場した試合ではブンデスリーガ初ゴールを決めるなどの活躍を見せ、2014-15年シーズンゆう版にはレギュラーを獲得した。浦和レッズ時代のように、レギュラーとして定着するには波はあったものの、年を重ねるごとに原口元気は確実にブンデスリーガで注目される選手へとなっていったのだ。

そんな原口元気がブンデスリーガのヘルタ・ベルリンから移籍の意思を見せたのは2016-17シーズン。ずっと憧れていたプレミアリーグでプレーするために移籍したいと伝えるようになったのだ。しかし、そんななか移籍に対して前向きでなかったのは所属チームのヘルタ・ベルリン。チームの主力としてプレーしている原口元気を手放したくないと、移籍の意思を見せている原口元気に提案したのは、契約延長だった。そのため、プレミアリーグに移籍したとしても、移籍先のチームはヘルタ・ベルリンに移籍金を払わなくてはいけない状況を提案されたところ、原口元気は契約延長を拒否。この移籍問題でチームや監督と、原口元気との間に大きな溝が生まれ、2016-17シーズンに活躍したにも関わらず、移籍の機会に恵まれ辛い、試合に出れていない状況に追い込まれてしまったのだ。原口元気への執拗ないじめにも取れる状況で、周囲に浮上したのは古巣、浦和レッズへの復帰。しかし、日本代表でもプレーする原口元気にとって、日本の浦和レッズに戻ってプレーするという選択はできなかったようだ。そして最終的には、日本人選手に好意的なことが以前から知られているフリードヘルム・フンケル監督率いる、ドイツのブンデスリーガ2部、フォルトゥナ・デュッセルドルフへの移籍を決めた。決して不調の選手でもなく、本人はプレミアリーグでの活躍を望んていたにも関わらず、所属していたチームよりも下部リーグへの移籍は周囲を驚かせた。しかしこの選択は、憧れているプレミアリーグでプレーするための第一歩。まずは確実に試合に出る回数を増やして、自分のプレーを取り戻さなくてはいけないのだ。ヘルタ・ベルリンで揉まれてしまった自分のプレーを、浦和レッズ時代のようにもっとゴールに絡むプレーへの軌道修正を移籍先のフォルトゥナ・デュッセルドルフで目指しているようだ。
フォルトゥナ・デュッセルドルフには、原口元気よりも一足先に移籍していた宇佐美貴史もいる。日本代表として顔を合わせるチームメイトだが、チームメイトだからこそ同じポジション争いをする関係でもある。同じ移籍先となったフォルトゥナ・デュッセルドルフでは、いいチームワークを見せ、地元紙でも2人の評価は好調。原口元気は苦しかった時代を経て、ピッチに戻る楽しさも感じているようだ。

プライベートでは、2015年8月にフリーアナウンサーの香屋ルリコと結婚。妻となった香屋ルリコとの交際期間は3年半。長年の付き合いを経て結婚へと至ったのだが、妻との出会いは2011年ごろだったとか。香屋ルリコとの出会いは、知人の紹介だったものの、芸能活動をしていた香屋ルリコの美貌に原口元気が一目惚れをし、そこから1年ほどの友人関係を経てから交際に至ったそうだ。原口元気は、ドイツのブンデスリーガ、ヘルタ・ベルリンへの移籍が決まり、移籍前最後の浦和レッズとしての試合を終えた会見で、苦しい時期も恋人の支えがあったからがんばれたと堂々宣言していたこともあり、結婚前から恋人の存在を公にしていたことでも話題だった。
原口元気といえば、素行がたびたび話題になってしまう問題児。短気な性格のせいで、以前暴行事件を起こしてしまったこともあったため、サッカーファンの間では結婚したけど、妻に暴行してDV事件を起こさないだろうか、と不安視する声もある。しかし、原口元気はサッカーというチームプレーを通して、少しずつ変わっているようだ。原口元気を変えたのは、浦和レッズのチームメイトとしていっしょにピッチに立っていた槙野智章。槙野智章は浦和レッズに移籍してから原口元気の教育係として教育してきたのだ。槙野智章の教育は確実に原口元気を更生し、2017年に槙野智章が所属し、原口元気本人の古巣である浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグを制覇してアジア王者に輝くと、浦和レッズには原口元気からの花が届いたのだ。この些細な行為を槙野智章は喜び、浦和レッズ時代に教育してきてよかったと自身のSNSで原口元気との絆をアピールした。天才であるがゆえに一匹狼になりがちであった原口元気は槙野智章によって変わり、また、結婚したことでもいい風に変化しているようだ。まだまだ日本代表として定着とまではいえない存在ながらも、しっかりと原口元気は上昇を見せている。

主な出演

・CM
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