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サッカー選手 の久保裕也 (くぼゆうや) さんのインスタグラム(Instagram)アカウントです。

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久保裕也のプロフィール

名前:久保裕也(サッカー選手)
生年月日:1993年12月24日
出身地:山口県

父親は柔道・剣道・合気道に精通し、母親は合気道をしていたという格闘技一家に生まれた久保裕也がサッカーを始めたのは5歳のころ。このころから久保裕也はサッカー一筋だったそうだ。小学生のころはFC山口でDFとしてサッカーに励んでいると、当時小学6年生のときに、「2005ナショナルトレセンU-12中国」の参加メンバーに選ばれた。ここで出会ったのが、のちに親友と呼べる関係になる原川力だ。原川力はレオーネ山口に所属していたため、久保裕也と一緒にサッカーをする機会はなかったのだが、このトレセン選出をきっかけに2人はいっしょに自主練をするようになった。久保裕也と原川力は中学にあがると山口市立鴻南中学校で同級生となったが、久保裕也は鴻南中学校のサッカー部、原川力はもともと所属していたレオーネ山口をサッカーの場所に選んだため、チームメイトではなかったものの、毎日のように校庭や学校の近くにある維新百年記念公園で朝練をしたり、クラブチームや部活の練習後にも自主練したりして、お互いのサッカーを高め合っていた。この原川力との練習の成果で久保裕也はそれまでDFだったものの、ボールを蹴って感覚を磨き、のちに点取り屋へと変貌することになったのだ。
日々の練習でぐんぐん成長した久保裕也は、中学3年生のときに「第39回全国中学校サッカー大会」に鴻南中学校のサッカー部として中国第1代表で出場したほか、「チャレンジ! おおいた国体サッカー少年男子競技」に練習仲間の原川力といっしょに山口県代表として出場している。この「チャレンジ! おおいた国体サッカー少年男子競技」への出場で、京都サンガF.C.にスカウトされたため、鴻南中学校の卒業後は京都の立命館宇治高校に入学しながらも、原川力といっしょに「スカラーアスリートプロジェクト」という京都の育成プログラムの5期生として当時J1の京都サンガF.C. U-18に入団することになった。

京都サンガF.C. U-18に入団した高校1年生の春、久保裕也が背負った背番号は「9番」。入団直後から久保裕也への期待が高いことが窺える。そして2009年8月には「豊田国際ユースサッカー大会」にU-16日本代表として出場すると、この大会の2試合に出場し、2得点を獲得してU-16日本代表の準優勝に貢献した。ちなみにこの大会のMIP賞も獲得している。そして翌年1月に開催された「コパ・チーバス2010」にもU-17日本代表として出場すると、この大会の決勝で先制ゴールを決めたものの、その後逆転されてしまい、U-17日本代表は準優勝になってしまったが、この記録は過去最高位。久保裕也は、世代別日本代表でもしっかり存在感をアピールすることになった。そして高校2年生のときには2種登録選手としてトップチームに帯同することになったが、のちに一旦登録を解除され京都サンガF.C.U-18のメンバーとしてJリーグユース選手権大会に出場するとトップ4入りを果たし、久保裕也は7得点もあげる結果を残した。
高校3年生になった2011年、久保裕也は再び京都サンガF.C.のトップチームに2種登録されると、トレーニングマッチでハットトリックを挙げるなどでさらに評判を高めた。当時J2だった京都サンガF.C.の公式戦には同年4月のファジアーノ岡山FC戦で初スタメンでプロ初出場を果たすと、なんとこの試合で初ゴールも決めてしまったのだ。そして同年5月の徳島ヴォルティス戦でもうプロ2ゴール目を決めると、その後の試合でも多くのゴールを獲得し、17歳という若さでチーム最多得点のリーグ戦30試合で10得点を記録する華々しいスタートを切った。そして同年12月に杉本大地、高橋祐治、原川力、三根和起、國領一平らとともに、京都サンガF.c.のトップチームへの昇格が決まった。久保裕也を含めたこの6人はみな京都サンガF.C. U-18のメンバーで、國領一平以外の5人は全員U-18日本代表のメンバーだったこともあり、すでに2種登録としてチップチームで活躍している久保裕也を筆頭に京都の次世代を担う「黄金世代」と呼ばるようになった。

久保裕也は実質2012年から京都サンガF.C.のトップチームに正式参加するようになったのだが、作年と同じようにトレーニングマッチでハットトリックを挙げてみせたのだ。久保裕也の勢いは止まらず、同年2月、当時まだ高校3年生ながらも日本代表に初選出され、“高校生Jリーガーの久保裕也”から、“日本代表の唯一の高校生=久保裕也”という注目のされ方に変化するようになった。しかしこの年、なかなかいいプレーができなかった久保裕也は、ゴールを量産することはおろか、ベンチやベンチ外が続くようになってしまった。そして迎えた2013年、シーズン開幕戦で途中出場ながらも逆転ゴールを決めて流れを掴むと、6月のロアッソ熊本戦で自身プロ初のハットトリックを達成させた。そして同年7月付けでスイスのトップリーグであるスーパーリーグのBSCヤングボーイズに完全移籍を果たした。この移籍金は日本円で約5500万で、久保裕也がBSCヤングボーイズに移籍するよう引き抜いたのは、2012年10月までBSCヤングボーイズのイリヤ・ケンツィクだった。久保裕也が移籍したときにはイリヤ・ケンツィクが辞任したあとだったため、移籍直後は久保裕也への目線は冷ややかなものだったそうだが、久保裕也の練習を見た新監督のウリ・フォルテに気に入られて、練習試合に出場すると移籍後すぐに欧州初ゴールを記録したのだ。
そして2013-14シーズン開幕戦のFCシオン戦で途中出場を果たし、ついに久保裕也はスイスリーグの公式戦デビューを果たした。そして7月29日に行われたFCトゥーン戦でスイスリーグ初ゴールを決めると、この試合でBSCヤングボーイズの勝利に貢献したのだ。スイスリーグデビュー戦から得点を獲得する久保裕也は、スイス紙ブリックで「久保のゴールセレブレーションの真相」というタイトルのなかで、“リーグの新しいスター”として紹介され、地元からの注目も獲得できるようになった。このころには、久保裕也がゴールを決めると行う手をひじで叩くパフォーマンスも話題になるほど、スイスリーグに迎え入れられる選手へと成長した姿を見せた。

久保裕也の移籍による加入の影響もあり、前シーズンよりも4位成績を上げ、UEFAヨーロッパリーグの予選3回戦からの出場となる3位に躍進したBSCヤングボーイズは2014-15シーズンにUEFAヨーロッパリーグの本戦に進出した。久保裕也のUEFAヨーロッパリーグデビューは9月。ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ戦で途中出場ながらも1アシストを果たし、その後のŠKスロヴァン・ブラチスラヴァ戦で決勝点となるUEFAヨーロッパリーグでの初ゴールかつ2得点を決めるなど、日本人サッカー選手としても記録を残した。スイスリーグでも順調な結果を残し、2014-15シーズンはSBCヤングボーイズは2位と惜しくも優勝は逃したものの、好結果でシーズンを終えた。そして2015-16シーズンはUEFAヨーロッパリーグの予選3回戦でスタメンフル出場を果たすも、予選敗退。しかし、スイスのスーパーリーグでは多くの得点を挙げるなどチームに貢献し、SBCヤングボーイズへの移籍3年目でついにスタメンに定着するようになった。
また、2015年はリオデジャネイロオリンピックアジア一次予選を兼ねたAFC U-23選手権2016予選のU-22日本代表に選出されたが、所属しているSBCヤングボーイズの要望で2試合のみの出場という条件がついた。ちなみに1次予選から海外組が出場するのはオリンピック出場に年齢制限がはじまった1992年のバルセロナオリンピック以降、はじめてのことだった。もちろん久保裕也は予選でしっかりU-23日本代表に貢献し、出場した2試合のうち第3戦のマレーシア戦で、日本最終予選進出を決める決勝ゴールを決め、U-23日本代表のエースとしての存在感を露わにした。日本代表戦から所属のSBCヤングボーイズに戻った久保裕也はその後怪我による欠場もったが、このシーズンにリーグ戦29試合に出場し、移籍後最多の9ゴール6アシストを決めるなど、SBCヤングボーイズの主力としてスーパーリーグ2位獲得を貢献した。この功績があり、SBCヤングボーイズは久保裕也との契約を2020年まで延長することになった。

2016年1月にはリオデジャネイロオリンピックアジア最終予選を兼ねるAFC U-23選手権2016本大会のU-23日本代表に選出され、久保裕也の戦力が期待されていた。そして決勝トーナメント準決勝のイラク戦では、先制点を久保裕也が決めたのちに失点すると、小中高時代、そして京都サンガF.C.でも一緒にプレーした原川力が逆転ゴールで決勝点を決め、“ドーハの歓喜”と呼ばれるほど日本中を沸かせるプレーを見せ、かつてオリンピック行きの切符を逃した地・ドーハで、今度はオリンピック出場の切符を獲得したのだ。その後に行われた決勝の韓国戦にはスタメンでフル出場を果たしてU-23日本代表の勝利に貢献し、日本のアジア制覇を実現させたのだ。そしてもちろんU-23のエースストライカーとしてリオデジャネイロオリンピックの本大会メンバーにも選ばれたのだが、UEFAチャンピオンズリーグでSBCヤングボーイズのチームメイト、アレクサンデル・ゲルントの負傷があり、クラブに日本代表への招集を拒否されてしまい、久保裕也はオリンピックへの出場を果たすことはできなかった。
そして2016-17シーズンの冬の移籍市場でベルギーのトップリーグであるジュピラー・プロ・リーグのKAAヘントの移籍が決まり、約4億2000万円というKAAヘント史上最高額が久保裕也の移籍金として支払われた。移籍すぐの2017年1月29日にベルギーリーグ初出場を果たすと、移籍後初ゴールも獲得。その後、4人抜きのドリブル突破から3試合連続となるゴールを決めるなど、KAAヘントへ移籍したあとすぐに好成績を残したことから、ベルギーでの印象は高まり、「日本のマラドーナ」や「日本のメッシ」と評価されるほど。そして2015-16シーズンにベルギーのトップリーグに昇格したKAAヘントをその翌シーズンに上位プレーオフ進出に導くなど、久保裕也の移籍によりKAAヘントの存在感はベルギーリーグのなかでも光るものになった。そしてシーズン20得点を決めるほどの活躍を見せた2016-17シーズンだったが、次の2017-18シーズンでも開幕すぐに得点を決めるなど、調子の良さをキープし、ベルギーリーグでも圧倒的な存在感を保持している。

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