藤岡幸夫さんのインスタグラム写真 - (藤岡幸夫Instagram)「ファンサイトより 第9の話その②  以前も書いたけど、第九の4楽章はベートーヴェンがシラーの詞をカットしたり並べかえたり、シラーにとって特別な意味を持たない言葉を強調してベートーヴェンの言いたい事が表現されている。(ミサ・ソレムニスも同じで、教典の言葉を自由に強調、省略して表現してる)。  初演当時のお客さん達は流行したシラーの詞を覚えていて、第九のアレンジされた歌詞に違和感を感じ戸惑ったという。  シーラーの詞をいじくり回した(原詩を3分の2近くカットした上、ベートーヴェンが勝手に詞を編集してる)グロテスクな馬鹿騒ぎというのが、一般的な評価で、再演時に4楽章がカットされる事も多かった。  また、ベートーヴェン信奉者のメンデルスゾーンはしっかり準備をして再演を指揮したが、4楽章については理解出来ないとしたし、それを聴きにきたシューマンも同様だった。  流行したシラーの詞が忘れられる時代になってから、第九の4楽章が評価されるようになったのだ(ベートーヴェンがシラーの詞を改竄したのに一般人は気が付かなかいので)。  具体的な話は以前にその1で書いたので詳しくは省くけど、ベートーヴェンはシラーの原詩をカットしてアレンジしたセンテンス「楽土の娘が引き裂かれた人々を魔法で結ぶ」を何度も繰り返し、特に後半ではシラーにとって特別な意味を持たない「娘(Tochter)」という言葉を強調する。(シラーはこの「Tochter」を「歓喜」の擬人化として使っていて、娘という意味ではない。しかし、ベートーヴェンはこの言葉を「娘」として扱い、しかも第九の主人公的な役割をこの言葉に与えて、「Tochter」という言葉を何度も強調する)。  この「娘」と、また他のセンテンスで使われる「天使」という言葉は不滅の恋人と重ねられてるといわれている。  ベートーヴェンが不滅の恋人と呼んだアントーニアに送った手紙で彼女を時に天使と呼び、また彼女と1812年に破局を迎えた後もベートーヴェンは彼女を愛し続け、彼女に「あなたの魂で引き裂かれた人々とまた結びつけてください」といった手紙を送っているからだ。  また以前も書いたが、ベートーヴェンには不滅の恋人と出会う前の恋人でベートーヴェンの子供まで産んだヨゼフィーヌという女性がいた。 ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816~17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。 この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。  第九にはシラーの詩への共感だけでなくここでは書き切れないほどいろいろな想いがこめられてる。そして何より純音楽的に凄い作品なのは言うまでもない。  追記 不滅の恋人は現在ではアントーニア・ブレンターノ(夫とは別居してた)に間違いないとされる。出会いは1810年で翌年に喜びに狂喜乱舞する7番が生まれる。  有名な不滅の恋人への手紙(ベートーヴェンの死後に発見された)は、1812年の夏のチェコ旅行直前に交わされたもので、アントーニアが妊娠を告げた内容とされる(ベートーヴェンの子供か旦那の子供か2つの説がある)。  この手紙の後にチェコ旅行で2人は幸福な時間を過ごし(この時の想い出が8番に込められてる)、ベートーヴェンはアントーニアとその子供とのロンドン移住を真剣に考えていたが、旅行が終わった直後に破局を迎え、アントーニアは夫の元へ帰る。それ以後もベートーヴェンはアントーニアを愛し続け、最後の3つのピアノソナタにも不滅の恋人への想いがこめられている。  アントーニアにしても、ヨゼフィーヌにしても人妻だったことからベートーヴェン死後も周りの人間が秘密を厳守した。ヨゼフィーヌが亡くなった1821年当時のベートーヴェンの会話帳のページは、ヨゼフィーヌの親族の要望で破棄されてしまったらしく破られて無くなっているという。 またベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉によって育てられた後、生涯独身で長寿をまっとうした。 不滅の恋人の話に興味ある方には沢山の研究書がありますが、まずはベートーヴェン研究で世界的権威の青木やよひ女史の本をお薦めします。  #第9 #第九  このアカウントは表アカウントです。 裏アカウントも宜しければ😀 ↓ @sachiofujioka」11月9日 4時59分 - sachio_fujioka

藤岡幸夫のインスタグラム(sachio_fujioka) - 11月9日 04時59分


ファンサイトより
第9の話その②

以前も書いたけど、第九の4楽章はベートーヴェンがシラーの詞をカットしたり並べかえたり、シラーにとって特別な意味を持たない言葉を強調してベートーヴェンの言いたい事が表現されている。(ミサ・ソレムニスも同じで、教典の言葉を自由に強調、省略して表現してる)。

初演当時のお客さん達は流行したシラーの詞を覚えていて、第九のアレンジされた歌詞に違和感を感じ戸惑ったという。

シーラーの詞をいじくり回した(原詩を3分の2近くカットした上、ベートーヴェンが勝手に詞を編集してる)グロテスクな馬鹿騒ぎというのが、一般的な評価で、再演時に4楽章がカットされる事も多かった。

また、ベートーヴェン信奉者のメンデルスゾーンはしっかり準備をして再演を指揮したが、4楽章については理解出来ないとしたし、それを聴きにきたシューマンも同様だった。

流行したシラーの詞が忘れられる時代になってから、第九の4楽章が評価されるようになったのだ(ベートーヴェンがシラーの詞を改竄したのに一般人は気が付かなかいので)。

具体的な話は以前にその1で書いたので詳しくは省くけど、ベートーヴェンはシラーの原詩をカットしてアレンジしたセンテンス「楽土の娘が引き裂かれた人々を魔法で結ぶ」を何度も繰り返し、特に後半ではシラーにとって特別な意味を持たない「娘(Tochter)」という言葉を強調する。(シラーはこの「Tochter」を「歓喜」の擬人化として使っていて、娘という意味ではない。しかし、ベートーヴェンはこの言葉を「娘」として扱い、しかも第九の主人公的な役割をこの言葉に与えて、「Tochter」という言葉を何度も強調する)。

この「娘」と、また他のセンテンスで使われる「天使」という言葉は不滅の恋人と重ねられてるといわれている。

ベートーヴェンが不滅の恋人と呼んだアントーニアに送った手紙で彼女を時に天使と呼び、また彼女と1812年に破局を迎えた後もベートーヴェンは彼女を愛し続け、彼女に「あなたの魂で引き裂かれた人々とまた結びつけてください」といった手紙を送っているからだ。

また以前も書いたが、ベートーヴェンには不滅の恋人と出会う前の恋人でベートーヴェンの子供まで産んだヨゼフィーヌという女性がいた。
ベートーヴェンはヨゼフィーヌと別れた後も事業に失敗した彼女を出版社などから大きな借金をして助けたが(1816~17年)、結局ヨゼフィーヌは精神の病にかかり、1819年には幻覚の中だけで生きるようになり1821年に天国へ逝ってしまった。
この同じ頃に、第九のあの美しい3楽章がスケッチされてる…。

第九にはシラーの詩への共感だけでなくここでは書き切れないほどいろいろな想いがこめられてる。そして何より純音楽的に凄い作品なのは言うまでもない。

追記 不滅の恋人は現在ではアントーニア・ブレンターノ(夫とは別居してた)に間違いないとされる。出会いは1810年で翌年に喜びに狂喜乱舞する7番が生まれる。

有名な不滅の恋人への手紙(ベートーヴェンの死後に発見された)は、1812年の夏のチェコ旅行直前に交わされたもので、アントーニアが妊娠を告げた内容とされる(ベートーヴェンの子供か旦那の子供か2つの説がある)。

この手紙の後にチェコ旅行で2人は幸福な時間を過ごし(この時の想い出が8番に込められてる)、ベートーヴェンはアントーニアとその子供とのロンドン移住を真剣に考えていたが、旅行が終わった直後に破局を迎え、アントーニアは夫の元へ帰る。それ以後もベートーヴェンはアントーニアを愛し続け、最後の3つのピアノソナタにも不滅の恋人への想いがこめられている。

アントーニアにしても、ヨゼフィーヌにしても人妻だったことからベートーヴェン死後も周りの人間が秘密を厳守した。ヨゼフィーヌが亡くなった1821年当時のベートーヴェンの会話帳のページは、ヨゼフィーヌの親族の要望で破棄されてしまったらしく破られて無くなっているという。
またベートーヴェンの子供ミノナはヨゼフィーヌの姉によって育てられた後、生涯独身で長寿をまっとうした。
不滅の恋人の話に興味ある方には沢山の研究書がありますが、まずはベートーヴェン研究で世界的権威の青木やよひ女史の本をお薦めします。

#第9
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2023/11/9

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