森泉謙治さんのインスタグラム写真 - (森泉謙治Instagram)「一生成長し続けるハピネス人生   森泉清水(モリイズミ キヨミ) 7月6日父親が他界しました。 84歳です。 ”幸せな人生だった”と話してくれました。      父の顔にヘアメイクを施した。 この頬の表情筋がすべてを物語っているが、いつの時代を切り抜いても何一つ変わらずニコニコ微笑んでいる。 無意識に人を元気にするハッピーな父だった。  僕が幼少時代の頃、自分の通う小学校の鉄棒で大車輪をしたり、校庭50メートルを逆立ちして歩いたり、絵、書道、歌などうらやましいほどなんでも万能にこなし、周りの人を笑顔にする父の姿は小さな頃の僕の憧れだった。  父は根っからのサラリーマンでいつも忙しく、あまり家にいることが少なかったが、朝早くゴルフやら仕事やらで家を出てしまう日々だったが、当時、スポーツ(コンペ)の優勝トロフィーを何個も持って帰ってくることが子供ながらに嬉しくて、本気でプロゴルファーと勘違いしていた笑。 そんな父の背中は見てきたが、残念ながらその才能を今まで言葉で教えてもらった記憶がなく本当に叱られた記憶もあまりない。いわゆる父は典型的な放任主義だった。だが、唯一自分自身の人生のターニングポイントになるタイミングでの名言は今でもはっきりと覚えている。 小学生の頃からの漫画家になるという夢は挫折して夢で終わったが、今の”職業になるが人をキレイにして喜んでもらえる美容家になる"覚悟を決めた頃、父はまったく否定は一切せずに「そうしたら個人事業主になるから、若い年齢(30才以内)までにはしっかり結果(資本を稼ぐ)を出して自分で会社を開業しないといけないね。イメージできたらやりなさい。」と時系列で言われたことが、とてもイメージしやすく、その後の人生のターニングポイントとなった。その一言だけはすごく鮮明に記憶として残っている。 生まれた頃の父は500gの未熟児で病気がちだったことを聞いていたが、その後は病気一つせず某企業を退職する70歳まで仕事をして引退した後も変わらず毎朝のウォーキングを日課とし、ずっとスタイルが変わらずお腹が出たことも一度も見たことがない。 きっと、誰より健康に気を使ってきたのだろう。 実家は長野にある日本酒森泉酒造の息子で、もちろん家でもお酒はほどよく嗜んでいたが、唯一ひとつだけ気にかかることがあった。 本人の若い頃の話やら女性の話やらもっと母との出会いの話やら、いろいろ本音一つ聞いてみたかったが 男同士2人で酒を呑みに誘ってもらったことが一度もなかった。 今考えても世間的にも珍しいことと気付き、少し寂しさも感じていた。やがて父が80歳になり癌が分かってからの3年半近くも、病気とは思えないほどとにかく歩き、よく食べ、よく眠って、本を読み続けてひたすらインプットをしまくっていた。 やがて、本人から”ありがとう!自分は本当に幸せな人生だった”と嬉しい言葉を発した1ヶ月前、癌の症状はガクンと一変した。  父への最後のプレゼントとなってしまったが母76歳、父84歳の6月の2人の誕生日に送ったプレゼントは"少し良いペンと感謝のみを綴る為の一冊のノート"にすると決めていた。 内容はなんでも良いが、できれば普段お互いに2人で恥ずかしくて伝えられない感謝の気持ちを綴るノートとして。 それと、、、できることなら裏テーマで インプットし続ける父親に最後に家族みんなにアウトプットして欲しいという願いを込めて。 しかし、タイミングが悪すぎた。自宅で父が倒れ、ノートは白紙のままだった。  最後の最後までコミュ力が高くてとにかく人が好きで人に愛される人だった。 自分の言葉で人の陰口や悪口を一度たりとも聞いたことがなく、 入ってくる言葉は、自ら言わずとも心地良く必ず周りの人から聞こえてくる。  父の人生にアウトプットするノートは不用だった。白紙だったのも今想うと当然だとうなずけた。 彼の人生を通してやり遂げていたのだと痛感した。  いつも心から人を楽しませたいというホスピタリティの精神が 気持ちのそのいい笑顔こそが 父のずっと変わらないアイデンティティでした。  人として1番大切なこと 父の最後のアウトプットはずっと成長し続けることと全身全霊で教えてくれた。  言葉ではなく最後まで体を張って示してくれて  お父さん ほんとうにありがとう。  ずっと変わらずみんなあなたが大好きです。  天国でも人を喜ばして思い存分に大好きなことをしてくださいね。  父のアイデンティティを感じる僕の娘は5歳からチアダンスをしている。  そして今11歳の悠(はるか)は,おじいちゃんの卒業した大学に通いたいと受験勉強に奮起している。  そう!cheer(チア)は応援する、励ます、力づける、という意味。  ”おじいちゃんはずっと見守ってくれているから私はどんなにつらいことがあっても おじいちゃんのようにずっと笑顔で人を笑わせたい”  という告別式での娘のスピーチは 親としてとても誇らしく、とても感動した。  少し、おじいちゃんに 似てるところがあるかな^ ^」7月9日 9時33分 - theglobes_moriizumi

森泉謙治のインスタグラム(theglobes_moriizumi) - 7月9日 09時33分


一生成長し続けるハピネス人生 

森泉清水(モリイズミ キヨミ)
7月6日父親が他界しました。
84歳です。
”幸せな人生だった”と話してくれました。
   

父の顔にヘアメイクを施した。
この頬の表情筋がすべてを物語っているが、いつの時代を切り抜いても何一つ変わらずニコニコ微笑んでいる。
無意識に人を元気にするハッピーな父だった。

僕が幼少時代の頃、自分の通う小学校の鉄棒で大車輪をしたり、校庭50メートルを逆立ちして歩いたり、絵、書道、歌などうらやましいほどなんでも万能にこなし、周りの人を笑顔にする父の姿は小さな頃の僕の憧れだった。

父は根っからのサラリーマンでいつも忙しく、あまり家にいることが少なかったが、朝早くゴルフやら仕事やらで家を出てしまう日々だったが、当時、スポーツ(コンペ)の優勝トロフィーを何個も持って帰ってくることが子供ながらに嬉しくて、本気でプロゴルファーと勘違いしていた笑。
そんな父の背中は見てきたが、残念ながらその才能を今まで言葉で教えてもらった記憶がなく本当に叱られた記憶もあまりない。いわゆる父は典型的な放任主義だった。だが、唯一自分自身の人生のターニングポイントになるタイミングでの名言は今でもはっきりと覚えている。
小学生の頃からの漫画家になるという夢は挫折して夢で終わったが、今の”職業になるが人をキレイにして喜んでもらえる美容家になる"覚悟を決めた頃、父はまったく否定は一切せずに「そうしたら個人事業主になるから、若い年齢(30才以内)までにはしっかり結果(資本を稼ぐ)を出して自分で会社を開業しないといけないね。イメージできたらやりなさい。」と時系列で言われたことが、とてもイメージしやすく、その後の人生のターニングポイントとなった。その一言だけはすごく鮮明に記憶として残っている。
生まれた頃の父は500gの未熟児で病気がちだったことを聞いていたが、その後は病気一つせず某企業を退職する70歳まで仕事をして引退した後も変わらず毎朝のウォーキングを日課とし、ずっとスタイルが変わらずお腹が出たことも一度も見たことがない。
きっと、誰より健康に気を使ってきたのだろう。
実家は長野にある日本酒森泉酒造の息子で、もちろん家でもお酒はほどよく嗜んでいたが、唯一ひとつだけ気にかかることがあった。
本人の若い頃の話やら女性の話やらもっと母との出会いの話やら、いろいろ本音一つ聞いてみたかったが
男同士2人で酒を呑みに誘ってもらったことが一度もなかった。
今考えても世間的にも珍しいことと気付き、少し寂しさも感じていた。やがて父が80歳になり癌が分かってからの3年半近くも、病気とは思えないほどとにかく歩き、よく食べ、よく眠って、本を読み続けてひたすらインプットをしまくっていた。
やがて、本人から”ありがとう!自分は本当に幸せな人生だった”と嬉しい言葉を発した1ヶ月前、癌の症状はガクンと一変した。

父への最後のプレゼントとなってしまったが母76歳、父84歳の6月の2人の誕生日に送ったプレゼントは"少し良いペンと感謝のみを綴る為の一冊のノート"にすると決めていた。
内容はなんでも良いが、できれば普段お互いに2人で恥ずかしくて伝えられない感謝の気持ちを綴るノートとして。
それと、、、できることなら裏テーマで
インプットし続ける父親に最後に家族みんなにアウトプットして欲しいという願いを込めて。
しかし、タイミングが悪すぎた。自宅で父が倒れ、ノートは白紙のままだった。

最後の最後までコミュ力が高くてとにかく人が好きで人に愛される人だった。
自分の言葉で人の陰口や悪口を一度たりとも聞いたことがなく、
入ってくる言葉は、自ら言わずとも心地良く必ず周りの人から聞こえてくる。

父の人生にアウトプットするノートは不用だった。白紙だったのも今想うと当然だとうなずけた。
彼の人生を通してやり遂げていたのだと痛感した。

いつも心から人を楽しませたいというホスピタリティの精神が
気持ちのそのいい笑顔こそが
父のずっと変わらないアイデンティティでした。

人として1番大切なこと
父の最後のアウトプットはずっと成長し続けることと全身全霊で教えてくれた。

言葉ではなく最後まで体を張って示してくれて

お父さん
ほんとうにありがとう。

ずっと変わらずみんなあなたが大好きです。

天国でも人を喜ばして思い存分に大好きなことをしてくださいね。

父のアイデンティティを感じる僕の娘は5歳からチアダンスをしている。

そして今11歳の悠(はるか)は,おじいちゃんの卒業した大学に通いたいと受験勉強に奮起している。

そう!cheer(チア)は応援する、励ます、力づける、という意味。

”おじいちゃんはずっと見守ってくれているから私はどんなにつらいことがあっても
おじいちゃんのようにずっと笑顔で人を笑わせたい”

という告別式での娘のスピーチは
親としてとても誇らしく、とても感動した。

少し、おじいちゃんに
似てるところがあるかな^ ^


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2023/7/9

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