亜希子のインスタグラム(akiko_ohki) - 4月21日 23時12分
中学生の時は、授業中にいつもこっそりと小説を読んでいた。
国語や数学の教科書のあいだに文庫サイズの小説を挟んで、ひたすら読んだ。
なかでも、小説ではないが沢木耕太郎さんのベトナム縦断紀行「一号線を北上せよ」は特別な思い入れがあった。
その作品に登場した「ホテルマジェスティック・サイゴン」の描写がとても素敵だったのだ。
その本を読んでいると、まるで眼前にサイゴン河のゆったりとした流れが広がるような、熱帯地方のねっとりとした空気感が伝わってくるように感じた。
以来、いつか私も自分のお金で自分の力でこのホテルに泊まり、「ミス・サイゴン」というカクテルを頼むのがひとつの夢になった。
それから数年後、不思議なご縁で芸能活動を始めることになった。
グラビア撮影で海外に行くこともあった。
けれど、長距離移動の時は、こんな無名の新人女優でもマネージャーさんが海外行きのチケットを取ってくださった。
さらにスタッフさんが常にアテンドをしてくださり、靴下ひとつとっても人様が履かせてくれるようになり、恥ずかしながら私はボーっとしているだけでよかった。
しまいに飛行機の乗り方も新幹線の乗り方も人様に甘えっぱなしで、何も知らないまま20才を迎えてしまっていた。
いや、正直に言う。
25歳で会社員になるまでそんな状況が続き、心のどこか大人になりきれていないような、わずかな負い目があった。
25歳で芸能界をやめた。
とにかく日常生活において、何事にも小さなことでも常識を知りたいと思った。
自分で願って会社員記者になってからは「もういいです」と手を横に振って遠慮したくなるほどガンガン国内出張があり、毎週のように全国各地に取材に出た。
念願の「一人で公共機関を使い移動する」ということにも余裕で慣れた。
慣れまくった。
目を閉じていても余裕なほど移動が容易になり、上司やクライアントの席もまとめて確保できるようになり、ラウンジの使い方も覚えた。
でも、肝心の海外出張だけは、ずっとご縁が無かった。
引き続き「まだ自分の力で海外に行ったことがない」ことに負い目があった。
28歳でサラリーマンを辞めて、29歳で書籍を発売し、作家になった。2019年のことだ。
その翌月、人生で初めての印税というものを頂いた。
このお金で何をするか、もうずっと前から決めていた。
私は、中学生の時からの夢であった沢木耕太郎さんと同じカクテルを飲むために一人でベトナムに行く。
そして、自分で自分の人生を切り拓いていく。
有言実行するために、震える指先でスマホからベトナム行きの飛行機のチケットを確保。
震えながら現地空港からホテルまでタクシーに乗り、震えながらマジェスティックサイゴンホテルにチェックインした。
英語もベトナム語も1ミリも分からないため顔面の表情筋とジェスチャーだけで現地の人に思いを伝えなければならず、またしても「私は30手前にもなって何してるんだろうか」と自分を恥ずかしく思う瞬間もあった。
他の人がおそらく20代で経験しているような、ごく普通のことが出来ない自分が恥ずかしかった。
それくらい、私にとって自分のお金で自分の力でベトナムに行き念願のカクテルを飲むことが、人生を一歩前に進むために大切な行為だった。
現地では結局、テンパっている私をみかねた日本人の友人が随分と手助けをしてくれた。情けなくて、ありがたかった。
けれど、マジェスティックサイゴンホテルのBarでカクテルを頼む瞬間だけは、自分ひとりで全部、決行した。
震えながら不慣れな英語でカクテルを注文し、鼻の穴を膨らませながら一口飲んだ。
その瞬間、鼻腔に、甘酸っぱい柑橘の香りと味が広がった。
中学生の頃の自分が脳裏をよぎり、これまでの人生が走馬灯のように蘇ってきた。
全力で背伸びして飲んだミスサイゴンの味は、一生忘れられない。
また、ベトナムに行きたい。
そういう海外寄稿文のエッセイの仕事、来ないかなぁ。
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2023/4/21