仲川希良さんのインスタグラム写真 - (仲川希良Instagram)「#adventcalendar 🎄18 ・ おしゃべりテーマは「モデルになったきっかけ」 ほんの時々モデルのお仕事のことをアップしたりもしてるけど きっかけのお話はたしかにインスタには書いてなかったかもしれません ・ ・ 中高校生の時大好きだったmcSisterという雑誌の専属モデルオーディションに応募して 最終選考に残ったことがきっかけでスカウトを受けたのが始まりです ・ 応募上限ギリギリだった高校2年生 厳しい両親には言い出せず 応募用紙の親の同意欄は自分で書いてハンコをおしました ・ デビューしてからは Zipper、cutie、junie、SEDA……世代の方は懐かし過ぎるんじゃないかしら笑 今も残っている雑誌だとananやnon-noなど 当時はハーフ顔が重宝されていた時代だったのもあってたくさんお仕事をさせていただきました ・ 高校からセーラー服のままダッシュでスタジオ入りしたりオーディション受けたりしていたなぁ ・ ・ mcSisterは「TシャツとGパンだけで女の子はかわいい」を教えてくれた雑誌 出ている子がみんな個性的で生き生きとして 自然体とかいう言葉が流行る前からそれを体現してくれていた気がします ・ 中学生の時に"職業調べ"という 自分の興味のある仕事について調べるレポート学習があったんですが その時にsisterモデルについて知りたいなと思って編集部にお手紙を書いたのです ・ 「撮影現場が見たい」という今考えると相当不躾なお願い 敬語を間違えないように何度も見直して返信用の封筒も入れました 中学生が携帯はもちろんネットもほぼあり得なかった時代 今ならきっと問い合わせアドレスとかにメールをポチッと送る子もいるのかなぁ ・ そしたらなんとお返事が来たのです 「プロの方々が緊張感を持ってお仕事されてる現場なのでお見せできません」というようなことが書かれていた気がしますが 実はそれがすごくすごく嬉しかった 断られた悲しみよりも返信が来たという喜び 家庭を越え学校を越え あの手紙が初めてより広い社会と私を繋げてくれた気がします ・ ・ 今はもうクラスに何人も居ると聞きますが 日本の「普通」の中ではなかなか生きづらい思いをすることも多かったハーフが モデルになった途端今度は「普通」になるという体験も面白かった ハーフを憂えながら自分もそれを特別視していたのかもしれないと モデルを始めて自覚しました ・ そこを越えると今度は表現について考え込んで ずっと黒い雲の中にいるような気持ちの時もありました ・ モデルはまるで変身するように服もヘアメイクも様々な雰囲気やテーマのものを纏いますが 「それっぽいヒトを撮りたいんじゃない、まさにそのヒトを撮りたい」とカメラマンに怒鳴られてシャッターを押してもらえなかったときに 「じゃあもう何も演じない、自分でいるしかないじゃない」と 開き直ったことでその雲を抜けられたような そんな思い出もあります ・ ・ ……長くなってきましたね笑 なんてったって今年でモデル歴20周年だったのです ・ これまでの仕事をせめてきちんとまとめてファイリングしたいなと思っていたのですが 段ボールに何箱も詰め込まれたまま押し入れに眠っています ・ たぶんまだ 見返したりまとめたりするタイミングじゃないんだな ・ ・ でもせっかくなので手前の段ボール一箱だけ開けてみました ・ 写真1枚目はブックと呼ばれるモデルの資料集のようなもの オーディション内容によって順番や中身を入れ替えます ・ モデルを始めた当時はフィルム撮影したものを紙に焼いて 1枚しかない写真を大事にブックに入れて持ち歩いてました オーディションを受けなくなって久しいけど今はきっとデータでクライアントさんにお渡しするんでしょうな ・ 写真2枚目は私のはじめてのコンポジット モデルの名刺のようなもので裏にも写真があります 20年前 事務所も名前も決まったばかり 今はもうこの顔はできない ・ 3枚目はブックの中身をお見せしているので オーディションする気持ちでご覧ください笑 ・ ・ 久しぶりにブックをめくっていたら息子がやってきて 最後までしっかり眺めてから「おかしゃん、かわいいねぇ!」と抱きしめてくれました 20周年のお祝いはこれで充分だわ😘 ・ ・ #モデル」12月21日 1時19分 - kiranakagawa

仲川希良のインスタグラム(kiranakagawa) - 12月21日 01時19分


#adventcalendar 🎄18

おしゃべりテーマは「モデルになったきっかけ」
ほんの時々モデルのお仕事のことをアップしたりもしてるけど
きっかけのお話はたしかにインスタには書いてなかったかもしれません


中高校生の時大好きだったmcSisterという雑誌の専属モデルオーディションに応募して
最終選考に残ったことがきっかけでスカウトを受けたのが始まりです

応募上限ギリギリだった高校2年生
厳しい両親には言い出せず
応募用紙の親の同意欄は自分で書いてハンコをおしました

デビューしてからは
Zipper、cutie、junie、SEDA……世代の方は懐かし過ぎるんじゃないかしら笑
今も残っている雑誌だとananやnon-noなど
当時はハーフ顔が重宝されていた時代だったのもあってたくさんお仕事をさせていただきました

高校からセーラー服のままダッシュでスタジオ入りしたりオーディション受けたりしていたなぁ


mcSisterは「TシャツとGパンだけで女の子はかわいい」を教えてくれた雑誌
出ている子がみんな個性的で生き生きとして
自然体とかいう言葉が流行る前からそれを体現してくれていた気がします

中学生の時に"職業調べ"という
自分の興味のある仕事について調べるレポート学習があったんですが
その時にsisterモデルについて知りたいなと思って編集部にお手紙を書いたのです

「撮影現場が見たい」という今考えると相当不躾なお願い
敬語を間違えないように何度も見直して返信用の封筒も入れました
中学生が携帯はもちろんネットもほぼあり得なかった時代
今ならきっと問い合わせアドレスとかにメールをポチッと送る子もいるのかなぁ

そしたらなんとお返事が来たのです
「プロの方々が緊張感を持ってお仕事されてる現場なのでお見せできません」というようなことが書かれていた気がしますが
実はそれがすごくすごく嬉しかった
断られた悲しみよりも返信が来たという喜び
家庭を越え学校を越え
あの手紙が初めてより広い社会と私を繋げてくれた気がします


今はもうクラスに何人も居ると聞きますが
日本の「普通」の中ではなかなか生きづらい思いをすることも多かったハーフが
モデルになった途端今度は「普通」になるという体験も面白かった
ハーフを憂えながら自分もそれを特別視していたのかもしれないと
モデルを始めて自覚しました

そこを越えると今度は表現について考え込んで
ずっと黒い雲の中にいるような気持ちの時もありました

モデルはまるで変身するように服もヘアメイクも様々な雰囲気やテーマのものを纏いますが
「それっぽいヒトを撮りたいんじゃない、まさにそのヒトを撮りたい」とカメラマンに怒鳴られてシャッターを押してもらえなかったときに
「じゃあもう何も演じない、自分でいるしかないじゃない」と
開き直ったことでその雲を抜けられたような
そんな思い出もあります


……長くなってきましたね笑
なんてったって今年でモデル歴20周年だったのです

これまでの仕事をせめてきちんとまとめてファイリングしたいなと思っていたのですが
段ボールに何箱も詰め込まれたまま押し入れに眠っています

たぶんまだ
見返したりまとめたりするタイミングじゃないんだな


でもせっかくなので手前の段ボール一箱だけ開けてみました

写真1枚目はブックと呼ばれるモデルの資料集のようなもの
オーディション内容によって順番や中身を入れ替えます

モデルを始めた当時はフィルム撮影したものを紙に焼いて
1枚しかない写真を大事にブックに入れて持ち歩いてました
オーディションを受けなくなって久しいけど今はきっとデータでクライアントさんにお渡しするんでしょうな

写真2枚目は私のはじめてのコンポジット
モデルの名刺のようなもので裏にも写真があります
20年前
事務所も名前も決まったばかり
今はもうこの顔はできない

3枚目はブックの中身をお見せしているので
オーディションする気持ちでご覧ください笑


久しぶりにブックをめくっていたら息子がやってきて
最後までしっかり眺めてから「おかしゃん、かわいいねぇ!」と抱きしめてくれました
20周年のお祝いはこれで充分だわ😘


#モデル


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2021/12/21

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