猫沢エミさんのインスタグラム写真 - (猫沢エミInstagram)「イオが旅立って、葬儀が終わり、少ししたあたりで彼が落ち込んだことがあった。  以前、インスタにも書いたのだけど、それはコロナ禍で日本へ駆けつけたくとも来ることができないもどかしさと、情報だけがなだれ込んできて、想像するしかなかった苦しさがドカンとやってきたから、っていうのはその通りだった。  でも、なんとなく他にも理由があるんじゃないのかなと私は感じていて、だいぶ彼の心持ちが落ち着いてから、ストレートに尋ねてみた。  当初、私の予想は、いくら彼女の猫とて、猫を見送ったことがない彼(子ども時代は実家に猫がいて、彼は元々猫好きではある)に、私のイオに対する特別な愛情と特殊な状況が、本当は理解し難い気持ちがあったんじゃないか、だった。心のどこかで「たかが猫一匹に、どうしてそこまで…」という気持ちがあったんじゃないかとか。フランス人と日本人の〝人間 対 動物〟の関係性の違いも含めて。  ところが彼から返ってきた回答は私の予想を越えるものだった。「自分でも、なんであんなふうになったのかアナリゼするのに2〜3日かかったんだけど、気づいたのは俺のイオに対する壮大なヤキモチだったんだよ。」  それを聞いた瞬間、「な、なんて正しいヤキモチか…!」と私は感動したのだった。イオの存在の大きさ、強さに対するヤキモチ。たしかに、イオがガンになってから、全身全霊でイオと対峙する私の心には、彼を置いておくスペースが 1cm2 もなかった。彼は、私にとってイオが、他の存在とは比べることのできない地位を占めていて、人生のなかでとても稀な運命に引きつけられた関係だということを、誰よりも理解していたから。  そして、ちょっと照れながらきちんと言葉で説明してくれた彼を、またひとつ深く愛した。人間らしくて、なんて愛らしい人なんだろうと思った。  人間とか動物とか、そんな薄っぺらい視点で私たちの関係を見ていない。私とイオが薄紙一枚入り込む余地のない抱き合い方をして、死にあらがう姿は、彼にとって眩しくて仕方がなかったのだ。  ちなみに、今回のイオ見送りの最終期には、元彼の助けも絶大だった。元彼がいなかったら、私はとっくに壊れていた。日本ではなかなか理解しにくい関係なのかもしれないけれど〝元彼〟とは、人生の喜怒哀楽を一通り共有した、家族に最も近い親友ではないだろうか?(もちろんそこまで持っていくには、別れた後の関係の修復がキモにはなるのだけど)フランスだとこんなのはぜんぜん普通で、なんならそれぞれの新しい恋人や子ども、家族ひっくるめてヴァカンスへ行ったり、人生の苦境時には助け合ったりもする。  元彼がうちに張り付いたとて〝ヨリを戻す〟とか、そうゆう薄っぺらい恋愛ゴシップに落とし込む発想自体が、私から言わせればちっちぇえな、コドモだな、の一言。  結果、元彼は同棲していたときに先代ピキ、そして今回はイオと、二匹のむすめたちの見送りを共にした。彼の人間としての優しさや、懐の大きさも再発見できて嬉しかった。私たちは約8年をかけて、真剣に友達に立ち返った。だからこんな辛い見送りを共有できたのだ。たぶん、私たちは一生とてもいい親友でいられるだろう。  死の僥倖(ぎょうこう)とは、すべてを明るみにする力を持っている。関係の深さも、薄っぺらさもぜんぶ暴露してしまう聖なる光。  私がイオの見送りを通して見つけた、それをとりまく人間関係は、輝くような真の思いやりで満ち溢れていた。そうしたたくさんの純粋な善意に支えられて、私はイオを穏やかな状態で天国タクシーへ乗せてあげることができた。  言葉では言い表せないほど、そのすべてに深く感謝している。  #イオちゃんフォーエバー #猫沢イオ  #イオの扁平上皮ガン日記」4月1日 11時15分 - necozawaemi

猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 4月1日 11時15分


イオが旅立って、葬儀が終わり、少ししたあたりで彼が落ち込んだことがあった。

以前、インスタにも書いたのだけど、それはコロナ禍で日本へ駆けつけたくとも来ることができないもどかしさと、情報だけがなだれ込んできて、想像するしかなかった苦しさがドカンとやってきたから、っていうのはその通りだった。

でも、なんとなく他にも理由があるんじゃないのかなと私は感じていて、だいぶ彼の心持ちが落ち着いてから、ストレートに尋ねてみた。

当初、私の予想は、いくら彼女の猫とて、猫を見送ったことがない彼(子ども時代は実家に猫がいて、彼は元々猫好きではある)に、私のイオに対する特別な愛情と特殊な状況が、本当は理解し難い気持ちがあったんじゃないか、だった。心のどこかで「たかが猫一匹に、どうしてそこまで…」という気持ちがあったんじゃないかとか。フランス人と日本人の〝人間 対 動物〟の関係性の違いも含めて。

ところが彼から返ってきた回答は私の予想を越えるものだった。「自分でも、なんであんなふうになったのかアナリゼするのに2〜3日かかったんだけど、気づいたのは俺のイオに対する壮大なヤキモチだったんだよ。」

それを聞いた瞬間、「な、なんて正しいヤキモチか…!」と私は感動したのだった。イオの存在の大きさ、強さに対するヤキモチ。たしかに、イオがガンになってから、全身全霊でイオと対峙する私の心には、彼を置いておくスペースが 1cm2 もなかった。彼は、私にとってイオが、他の存在とは比べることのできない地位を占めていて、人生のなかでとても稀な運命に引きつけられた関係だということを、誰よりも理解していたから。

そして、ちょっと照れながらきちんと言葉で説明してくれた彼を、またひとつ深く愛した。人間らしくて、なんて愛らしい人なんだろうと思った。

人間とか動物とか、そんな薄っぺらい視点で私たちの関係を見ていない。私とイオが薄紙一枚入り込む余地のない抱き合い方をして、死にあらがう姿は、彼にとって眩しくて仕方がなかったのだ。

ちなみに、今回のイオ見送りの最終期には、元彼の助けも絶大だった。元彼がいなかったら、私はとっくに壊れていた。日本ではなかなか理解しにくい関係なのかもしれないけれど〝元彼〟とは、人生の喜怒哀楽を一通り共有した、家族に最も近い親友ではないだろうか?(もちろんそこまで持っていくには、別れた後の関係の修復がキモにはなるのだけど)フランスだとこんなのはぜんぜん普通で、なんならそれぞれの新しい恋人や子ども、家族ひっくるめてヴァカンスへ行ったり、人生の苦境時には助け合ったりもする。

元彼がうちに張り付いたとて〝ヨリを戻す〟とか、そうゆう薄っぺらい恋愛ゴシップに落とし込む発想自体が、私から言わせればちっちぇえな、コドモだな、の一言。

結果、元彼は同棲していたときに先代ピキ、そして今回はイオと、二匹のむすめたちの見送りを共にした。彼の人間としての優しさや、懐の大きさも再発見できて嬉しかった。私たちは約8年をかけて、真剣に友達に立ち返った。だからこんな辛い見送りを共有できたのだ。たぶん、私たちは一生とてもいい親友でいられるだろう。

死の僥倖(ぎょうこう)とは、すべてを明るみにする力を持っている。関係の深さも、薄っぺらさもぜんぶ暴露してしまう聖なる光。

私がイオの見送りを通して見つけた、それをとりまく人間関係は、輝くような真の思いやりで満ち溢れていた。そうしたたくさんの純粋な善意に支えられて、私はイオを穏やかな状態で天国タクシーへ乗せてあげることができた。

言葉では言い表せないほど、そのすべてに深く感謝している。

#イオちゃんフォーエバー #猫沢イオ 
#イオの扁平上皮ガン日記


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2021/4/1

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