清水文太さんのインスタグラム写真 - (清水文太Instagram)「僕は最近、'選択'の在り方について考えていた。  この世界の決まりのようなものに、絡め取られている僕ら人間は、時として「社会の一員」として、決め事に対しての責任を問われるけれど、決してそれは永遠に定められたものではなくて、いわゆる異端派が変えていく構図もあることを忘れてはいけない。そこで消えゆくものもあるし揉めることもある。時代によって変わるもの。 仕事にだって、僕らの生きてるこの時代だからこそある、決め事や、通例のようなものが沢山ある。 「本業はなんですか?」と問われることも多いし、「若いから」とラベリングされることもある。でも、そんなことは僕らの時代から変えていけばいい、マルチタスクでよい。 上記に関しては、概念のようなものだから、変えていくのに年単位の努力がいるが、すぐに変えられるものもある。 例えば、判子をどうしても押さなければならないから、そのために満員電車に乗ってその作業だけしに行くとか、面子(メンツ)を立たせるために本来新たな人を擁立したほうが良いのに、ずっと続けている人に外注仕事を頼み続けるとか。 そんなものが、少しずつ崩れつつあるこの世の中に、僕らはどんなふうに順応していけばよいのだろう。それが課題。 でも、物凄いスピードで変化していって、そこに馴染めない人達がいることを忘れてはいけないと思う。 全てがリモート出勤になって、便利になっていくのは良いのだけれど、満員電車に乗って、会社に'行くこと'によってプライベートと仕事を分けたい人もいる。 判子だって、判子がなくなることによって暮らせなくなる人もいる。 時代は変わっていって、淘汰されていくものも勿論存在するとは思うのだけれど、あくまで僕は「どちらかを選ぶ」という選択ではなく、グラデーション状に「このあたりの感覚を選ぶ」という選択をしたい。  つい先日、肉やチーズ、焼きパイナップルとか、本当名にいろんなものがどんどん運ばれてくるバイキング屋さんに行ってきたんだ。 表が緑、裏が赤の札があって、もうお腹いっぱいだったら裏返して、食べられないよって意思表示ができる。 サラダバーやカレー、スープ、デザートまであって、何でも選んで、もう無理、ってなったらやめられる。「もっと食えるぞ!」と思ったら、いくらでも食える。 食べないことも、食べることも選択ができるバイキングのような社会になったら、とても幸せ。 でも、バイキングにだって、'沢山食べなければいけない'という固定概念のようなものを感じるから、それも選択できたらいいな。 そのバランスを通して、世の中にある仕事やプライベート、全てが「選択できる」世界が良い。  俺も仕事頑張ろーっと。なんでも、やっていいよね。僕の選択だから。 このバッグは、原宿のfaithという古着屋で買った。駅のトイレで撮影。 僕は決してFuckという言葉は使わないけれど、たまにはそんな選択をしてもよいのかな。と思う。  @hystericglamour_official  @faithvintage_online」10月2日 22時31分 - bunta.r

清水文太のインスタグラム(bunta.r) - 10月2日 22時31分


僕は最近、'選択'の在り方について考えていた。 
この世界の決まりのようなものに、絡め取られている僕ら人間は、時として「社会の一員」として、決め事に対しての責任を問われるけれど、決してそれは永遠に定められたものではなくて、いわゆる異端派が変えていく構図もあることを忘れてはいけない。そこで消えゆくものもあるし揉めることもある。時代によって変わるもの。
仕事にだって、僕らの生きてるこの時代だからこそある、決め事や、通例のようなものが沢山ある。
「本業はなんですか?」と問われることも多いし、「若いから」とラベリングされることもある。でも、そんなことは僕らの時代から変えていけばいい、マルチタスクでよい。
上記に関しては、概念のようなものだから、変えていくのに年単位の努力がいるが、すぐに変えられるものもある。
例えば、判子をどうしても押さなければならないから、そのために満員電車に乗ってその作業だけしに行くとか、面子(メンツ)を立たせるために本来新たな人を擁立したほうが良いのに、ずっと続けている人に外注仕事を頼み続けるとか。
そんなものが、少しずつ崩れつつあるこの世の中に、僕らはどんなふうに順応していけばよいのだろう。それが課題。
でも、物凄いスピードで変化していって、そこに馴染めない人達がいることを忘れてはいけないと思う。
全てがリモート出勤になって、便利になっていくのは良いのだけれど、満員電車に乗って、会社に'行くこと'によってプライベートと仕事を分けたい人もいる。
判子だって、判子がなくなることによって暮らせなくなる人もいる。
時代は変わっていって、淘汰されていくものも勿論存在するとは思うのだけれど、あくまで僕は「どちらかを選ぶ」という選択ではなく、グラデーション状に「このあたりの感覚を選ぶ」という選択をしたい。

つい先日、肉やチーズ、焼きパイナップルとか、本当名にいろんなものがどんどん運ばれてくるバイキング屋さんに行ってきたんだ。
表が緑、裏が赤の札があって、もうお腹いっぱいだったら裏返して、食べられないよって意思表示ができる。
サラダバーやカレー、スープ、デザートまであって、何でも選んで、もう無理、ってなったらやめられる。「もっと食えるぞ!」と思ったら、いくらでも食える。
食べないことも、食べることも選択ができるバイキングのような社会になったら、とても幸せ。
でも、バイキングにだって、'沢山食べなければいけない'という固定概念のようなものを感じるから、それも選択できたらいいな。
そのバランスを通して、世の中にある仕事やプライベート、全てが「選択できる」世界が良い。

俺も仕事頑張ろーっと。なんでも、やっていいよね。僕の選択だから。
このバッグは、原宿のfaithという古着屋で買った。駅のトイレで撮影。
僕は決してFuckという言葉は使わないけれど、たまにはそんな選択をしてもよいのかな。と思う。

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2020/10/2

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