片岡メリヤスさんのインスタグラム写真 - (片岡メリヤスInstagram)「2020年7月 ●「嫌いな料理」 料理が嫌いです。 正確に言うと興味がありません。 料理をすると気分転換になるという話をよく聞くけど、私は作品制作に関して気分転換が必要ないタイプで、行き詰まった時は全力でイライラして、そのイライラのパワーを瞬発力に変える事で良い作品や思いもしない発想が舞い降りてきます。 ピンチはチャンスという言葉の通り、制作が負の方向に向かう時はイライラと焦りと同時に「これこれ〜ここからだ〜」という気持ちになります。 そんなだから喜怒哀楽が全部制作に利用できて制作に飽きるという事がなく、ずっとやっていられるから気分転換がしたいという気持ちが湧いてこない、そんな毎日です。 でも日々やらなきゃいけない事はあって、掃除とかヤドカリや植物のお世話とか、洗濯も。ヤドカリと植物のお世話はいつも楽しい。生きてるし、毎日心配する。 自分も生きてるのに、栄養について、自分について、お世話や心配があまりできない。 日常生活で料理は最下位だった。 今まで私はキッチンに立つ時はスーパーで買ってきた包装された野菜にしか会ってなかった。きっとそれがつまらなかった。 種から育てた野菜を使って料理をするようになって料理がドラマチックになった。 葉物を摘むときは、どこからがベビーでどこからが大人なんだろう?と考える。ベビーリーフであるかどうかなんてどうでもよくてただの名称だよな、どうであれおいしい、と思う。 虫除けネットを被せてないから虫食いが激しい。ほぼ食べられてる部分もあったりして、誰が食べているんだろう?いつ?私が見てる時は食べてないのにこっそり食べてるよね、虫、と思って共存を感じる。食べてもいいよ。たまにハクビシンがうんこしにくる。庭に出て臭っと思うと畑にうんこ。シャベルで取り除いて家の裏に埋める。マーキングに必死な姿を想像する。  そんな畑に(畑と言っても家庭菜園的な小ささだけど)ボウルをもって収穫してる時、今日はサラダにこれくらい使おうとか考えてむしり取って、もう料理が始まっている。というか種を撒いたときから始まっている。水をあげて育つのを待つ間も。 育つの待つの楽しい。これも料理か。 唯一作るのが好きな料理は小籠包と餃子で皮を作って包むのが楽しいから好き。気温や配合で出来栄えが変わるのが楽しい。 昔から物に対して分解が好きだったり、構造を見たり工程を楽しむ癖があるから、料理にも「工程を楽しむ」を組み込んだら好きになると気づいた。それは料理本に載っているような工程じゃなかったんだとやっと気付いた。料理本は材料が全部揃ってからの工程だけど、材料を揃える部分も多少関われると面白さが増す。 とは言え、今日の夜ごはん何作ろうかな〜?と考える時間が増えてしまって本当に料理が楽しくて好きでしょうがないみたいになったら困るなという気がしてる。 でもぬいぐるみより好きになる事は無いだろうから制作が忙しければ料理をしなくなるかもしれない。  そういえば3年前も畑で色々育てていたけどバッタの赤ちゃんの大群に全部食べられた過去がある。収穫が全くできなかった。それから荒れた畑をほったらかしにしていた。今思うとあれは神様?からのメッセージだったのかな。まだ料理に目覚めず自分のすべき事をがんばれ。ぬいぐるみを全うせよ、と。じゃあ今はどうなんだろう?人間らしく生活しろって事かな。ぬいぐるみに取り憑かれた私にそんな事できるんだろうか?  結局、最近は制作に夢中になってて料理熱は鎮火しつつあるけど、海外の料理番組の主人公になりきって料理すると楽しい。 雑カッコよく野菜を切ったり、味見した後に大げさにリアクションしたりするのを誰にも見られず1人でやるのが好き。  7月 個展 畑豊作 都知事選  #kataokameriyasu  #片岡メリヤス」7月2日 17時11分 - kataokameriyasu

片岡メリヤスのインスタグラム(kataokameriyasu) - 7月2日 17時11分


2020年7月
●「嫌いな料理」
料理が嫌いです。
正確に言うと興味がありません。
料理をすると気分転換になるという話をよく聞くけど、私は作品制作に関して気分転換が必要ないタイプで、行き詰まった時は全力でイライラして、そのイライラのパワーを瞬発力に変える事で良い作品や思いもしない発想が舞い降りてきます。
ピンチはチャンスという言葉の通り、制作が負の方向に向かう時はイライラと焦りと同時に「これこれ〜ここからだ〜」という気持ちになります。
そんなだから喜怒哀楽が全部制作に利用できて制作に飽きるという事がなく、ずっとやっていられるから気分転換がしたいという気持ちが湧いてこない、そんな毎日です。
でも日々やらなきゃいけない事はあって、掃除とかヤドカリや植物のお世話とか、洗濯も。ヤドカリと植物のお世話はいつも楽しい。生きてるし、毎日心配する。
自分も生きてるのに、栄養について、自分について、お世話や心配があまりできない。
日常生活で料理は最下位だった。
今まで私はキッチンに立つ時はスーパーで買ってきた包装された野菜にしか会ってなかった。きっとそれがつまらなかった。
種から育てた野菜を使って料理をするようになって料理がドラマチックになった。
葉物を摘むときは、どこからがベビーでどこからが大人なんだろう?と考える。ベビーリーフであるかどうかなんてどうでもよくてただの名称だよな、どうであれおいしい、と思う。
虫除けネットを被せてないから虫食いが激しい。ほぼ食べられてる部分もあったりして、誰が食べているんだろう?いつ?私が見てる時は食べてないのにこっそり食べてるよね、虫、と思って共存を感じる。食べてもいいよ。たまにハクビシンがうんこしにくる。庭に出て臭っと思うと畑にうんこ。シャベルで取り除いて家の裏に埋める。マーキングに必死な姿を想像する。

そんな畑に(畑と言っても家庭菜園的な小ささだけど)ボウルをもって収穫してる時、今日はサラダにこれくらい使おうとか考えてむしり取って、もう料理が始まっている。というか種を撒いたときから始まっている。水をあげて育つのを待つ間も。
育つの待つの楽しい。これも料理か。
唯一作るのが好きな料理は小籠包と餃子で皮を作って包むのが楽しいから好き。気温や配合で出来栄えが変わるのが楽しい。
昔から物に対して分解が好きだったり、構造を見たり工程を楽しむ癖があるから、料理にも「工程を楽しむ」を組み込んだら好きになると気づいた。それは料理本に載っているような工程じゃなかったんだとやっと気付いた。料理本は材料が全部揃ってからの工程だけど、材料を揃える部分も多少関われると面白さが増す。
とは言え、今日の夜ごはん何作ろうかな〜?と考える時間が増えてしまって本当に料理が楽しくて好きでしょうがないみたいになったら困るなという気がしてる。
でもぬいぐるみより好きになる事は無いだろうから制作が忙しければ料理をしなくなるかもしれない。

そういえば3年前も畑で色々育てていたけどバッタの赤ちゃんの大群に全部食べられた過去がある。収穫が全くできなかった。それから荒れた畑をほったらかしにしていた。今思うとあれは神様?からのメッセージだったのかな。まだ料理に目覚めず自分のすべき事をがんばれ。ぬいぐるみを全うせよ、と。じゃあ今はどうなんだろう?人間らしく生活しろって事かな。ぬいぐるみに取り憑かれた私にそんな事できるんだろうか?

結局、最近は制作に夢中になってて料理熱は鎮火しつつあるけど、海外の料理番組の主人公になりきって料理すると楽しい。
雑カッコよく野菜を切ったり、味見した後に大げさにリアクションしたりするのを誰にも見られず1人でやるのが好き。

7月
個展
畑豊作
都知事選

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2020/7/2

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