播戸竜二のインスタグラム(ryuji_bando) - 6月3日 01時24分
『なつかシリーズ③⑧』
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2005年が終わりました。
怪我が長引き、満足に試合も出られず、ヴィッセルもJ2に降格となってしまいました。
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日本にいても、降格させてしまった事を毎日考えてしまう。あの頃は、まるでこの世の終わり、みたいな感じで過ごしていました。
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切り替える為に、イタリアに行きました。本場のサッカーに触れ、またサッカーがやりたい!もっと結果を残したい!と思えるようになる為に。
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そこで、代理人から連絡が入りました。ミラノのコルソコモの道路で、確か、曇り空の夕方でした。
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古巣のガンバ大阪から、戻って来ないかというオファーがあると。
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ガンバには98年に練習生として拾ってもらい、何も貢献できないまま、2000年にレンタルで札幌に行きました。2002年のヴィッセルまで、ガンバからのレンタルでした。そして2003年にヴィッセルに完全移籍しました。
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拾ってくれたガンバが再び自分の事を必要としてくれている。しかし、地元であるヴィッセル神戸をJ2に落としてしまった。
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代表を目指す為には、2005年に優勝したガンバに戻る方が近い。
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でも、ヴィッセルをJ1に上げるという使命もあるんじゃないか。
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ガンバに移籍する。
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ヴィッセルに残留する。
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揺れに揺れたイタリア旅行でした。
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帰ってきてからも、揺れていました。当時のヴィッセルの安達GMには、本当に慰留してもらいました。
三木谷さんのお父さんの良一さんにも、明石の海が見えるイタリアンで、地元出身の君が移籍したらイカン!と言ってもらいました。(お父さんありがとうございました。)
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眠れない夜を過ごし、迷いに迷いました。
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その中で…
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チャレンジしたい!
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その気持ちが出てきました。
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代表という目標はもちろんあるし、古巣に貢献したいという想いもある。ヴィッセルをJ1に上げたいという想いもある中で、優勝チームのガンバで、チャレンジしたい!自分をもっと高めたい!
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その気持ちが1番だったように思います。
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移籍してからもヴィッセル神戸には常に感謝の気持ちがあります。
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2005年シーズン。
ヴィッセルをJ2に落としてしまい、責任もとらずに移籍してしまい、本当にすみませんでした。
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2005年の成績
ヴィッセル神戸
J1リーグ・18位(18チーム中)
播戸竜二
リーグ戦・18試合2ゴール
ナビスコ杯・6試合0ゴール
天皇杯・0試合0ゴール
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ガンバにチャレンジする事を決めたのは、2005年の年末でした。
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#この頃の事は
#いま振り返っても辛いです
#それも含めてなつかシリーズ
#ここを書かないと次には進めない
#明日からは2006年です
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2020/6/3