斉藤和巳のインスタグラム(kazumi.66) - 5月13日 09時42分
藤井さん…。
ホークスが常勝軍団として歩み続けて来た中で、藤井さんの存在は外せへんはず。
そして、個人的にも色々お世話になったし、本当可愛がってもらった。
藤井さんが亡くなられたと知った時は…
頭が真っ白になった…。 99年の「初優勝」は、藤井さんの存在が大きかったと、チーム内で誰もが思った年やったと思う。 「誰からも好かれる人」
これが藤井さん。
本当大好きな先輩!
99年に続いて、翌年にもホークスが連覇した。
この年は…藤井さんは入退院を繰り返してた…。
この年のシーズンから…
「藤井人形」というのが作られた。
藤井さんと仲の良いスタッフの方が、ホークスのキャラクターの人形に、藤井さんの背番号「15」を記入し、毎試合ベンチに座られて、一緒に戦ってたのを思い出す。
その人形は、20年経った今も、ホークスのロッカーに"生きてる"と聞く。
そして、藤井さんが背負ってた「15」は、藤井さん以降、誰も背負う事なく、欠番扱いになってる。
更に、本拠地のドームの15番ゲートは、「藤井ゲート」と名付けられ、ホークスファンにはお馴染みのゲートとなってる。
掲載されてる、藤井さんがファンの方に綴った文章は、藤井ゲートにも飾られてる。
これは亡くなる少し前に、藤井さんがブログに書かれた文章。
この文章をプリントアウトして、自宅のショーケースに飾られてもらってる。
自分自身、現役最後の6年をリハビリに費やして来た時に、何度も…何度も、藤井さんのお墓にお邪魔させてもらった。
数えきれへんくらい、藤井さんに会いに行った。
正直、毎日がしんどかったし、でもそんな姿を周りに極力見せたくもなかったし、でも先が全く見えへん…
「魂の投手」「全て全力」
そんな藤井さんの空気感を少しでも感じさせてもらい、次の日からのリハビリの活力にしたかった…。 自分の生き方の中には、常に藤井さんがいる。
これからも藤井さんを頼らせてもらう。
2000年のシーズン終盤、優勝マジックが「1」になり、そんなタイミングで登板が回って来た。
千葉での試合やったから、チームとは別で先に移動する事になった。
自分がこのタイミングで登板…光栄という気持ちと「怖さ」を感じたから、千葉に移動する前に藤井さんに会いに行った。
これが…結局…藤井さんとは最後になってしまった…。
まだまだ未熟やった俺は…試合に負けた。
その後、福岡に戻って来てから、チームは多くのホークスファンの前で優勝を決める事が出来た。
優勝の瞬間をベンチ待ち、その瞬間にベンチから飛び出した時に「藤井人形」を抱きながら行った。
そして、その13年後…
自らユニホームを脱ぐ決意をして、引退セレモニーをしてもらった時に…
最後にグラウンド一周させてもらった時にも、「藤井人形」を抱かせてもらった。
それくらい、俺の中では「藤井将雄」という先輩は絶対的な存在。
同じ投手として、この人の背中を見れて良かったと思う。 「15」という数字も、自分が付けていた「66」とはまた違った意味で大事な数字。
一度でも…1日でも…一瞬でも良いから…
この「15」を背負ってみたい。
その気持ちは今も昔も変わる事はない。
藤井さんの話しは尽きない…。
それだけ大きな存在…。
ホークスにとっても大きな存在…。
『記録よりも記憶』(26ホールドは当時のパリーグ記録)
そんな言葉が一番似合う選手やと思う。
藤井さんありがとうございます。
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2020/5/13