鯨井俊介さんのインスタグラム写真 - (鯨井俊介Instagram)「『去年』  厳しい1年だった。メンバーが踊れなくなった、4月卒業。きつかった。6月、もう1人、ステージに立てなくなった、来年、卒業。4人でスタートしたブレイクが、形を変える、想像が難しかった。単純に、キツイ。もし、てんしょう、純平が支えてくれなかったら、今日まで戦えなかった。ありがとう。りょうや、柔和に優しく支えてくれた、ありがとう。受け止めてくれた社長、会社のみんな、本当にありがとうございます。 『悩み』  俺は何の為のリーダーだろうか。頼りっきりだったのが災いして、負担を周りにかけてしまってたのか。リーダー、辞めるべきか。いつからか、心ここにあらずになった。考える、ステージにいる意味を。なにがしたいのか、何の為に生きるのか、なにをあなたたちに伝えるのか。そんな中ひたすらメンバーは今まで以上にリーダー扱いしてくれた、気づかれたんだろうな、優しい言葉がとても痛かった。今までにもらった言葉、手紙に触れてみる。ファンに頼りたくなった、自分自身で決着がつかなくなっていたから。時が戻る、あの時、この時、記憶を取り戻すように文字を指が辿る。 『気付き』  感謝されたこと 楽しませてくれてありがとう 続けてくれてありがとう 夢を追いかけさせてくれてありがとう この仕事を選んでくれてありがとう 新メンバーを選んでくれてありがとう 好きでいさせてくれてありがとう  あなたたちが一番願ってくれてる事 『好きな事をやる俊くんが好き』  俺は先輩に連絡した。同じように 戦っている人。びっくりさせて すみません。でもその時、 俺にはあなたしか頼れなかった。 『11月』  先輩は伝えてくれた。  ぬるま湯にいるんじゃない。 安定なんかするな。 行動を起こせ。 人は両手にひとつずつしか 物は持てない。仕事と、やりたい事を 両立させるには、安定は取れない。 じゃあおまえはその両手に なにを選ぶ?  ああ、  覚悟ってなんだろう。 人から与えられた覚悟は 覚悟じゃない。  そして導きだす 『覚悟って自分で決めるものだ』  そのあと一生分自分と向き合う12月が始まった。 『人生』  6年間振り返える。 いや、その前を振り返る。 小さい頃 人となにかを合わせるのが苦手だった。 学校、みんなと同じ授業、出来ない。 授業のダンス、合わせれない。  勉強もできない、親もいない、洗濯、ご飯すら食えない。もちろん身体は細い小さい、人と話さないから声も小さい、声帯は成長の時期を過ぎた。  #  音楽に触れたのは施設、w-inds.のアルバムがあった。中学で入った施設には、古いCDが並んでいた、ほかにやる事もなかったから毎日同じアルバムを聴く。ジャケットの3人の写真が、なんとなく自分に重なる。憧れた。周りにはアザだらけの子供たち、俺も、周りからしたら同じだ。施設ってツライな。もう少し、自由でいさせてほしいな。決められた寝る時間、起きる時間、勉強する時間、唯一音楽を聴く時間、それだけが自由でいれた。その時だけが恵まれた少年だった。ステージに立ってみたいって夢を見つけた。  #  中学高校、引き取られた老夫婦に息子として迎えてもらえた。あなたは最後の私達の息子だと、血の繋がりのない兄貴が5人できた。全員色黒で俺と真反対、弟が出来たと、俺を受け入れてくれた。引き取られた手前、毎日新聞配達した、なにかチカラにならないとって思うくらいには成長していた。高校卒業後、そのお金を俺にくれた。貯めてくれたんだね。家を出ていってもあんたは6番目の息子だからね。その言葉のお礼を言う日は20歳の成人式の時だった。2年かかったよ。俺は手紙を書いて、伝えた。俺を育ててくれてありがとう。好きな事でご飯を食べてくれるのが私達の望みだよ、頑張りなさい。いま、なんとかやってるよ。ありがとうね。 『両手になにを選ぶ?』 ただ生きるだけは、出来ない。 好きな事で、生きたい。 やりたい事を、やりたい。  あの日、ただの少年を 救ってくれた音楽を、今度は 俺が作りたい。  6周年ライブ 2/28 多分これが最後の砦。 500人達成したことはないけれど、 なにも覚悟がないまま生きるのは 安定だと思う。なら、俺は安定を捨てる。  やりたい事を握りしめたいから。  達成したら、俺が、俺たちが やりたい音楽をやりたいんです。 達成しなかったら、その時は 終わる覚悟をします。  社長は真剣に目を逸らさず聞いてくれた。 本当にありがとうございます。  俺の覚悟を聞いてくれた メンバーにも、頭が上がりません。 ありがとう。本当にありがとう。  俺、やるよ。 『2020』  1月。俺が生まれた月。 生誕祭。サプライズと愛に包まれた 特別な空間だった。最高に生きていられた。 ありがとう、久しぶりに本音で話したよ。拙い言葉を聴いてくれてありがとう。自分自身で自分を見てるようなライブになったな。そんなワガママな内容だったかも。  奇跡と信じているからこそ僕は この言葉を言う 『生きよう』  26日大阪もよろしくお願いします。」1月12日 15時41分 - kujidai24

鯨井俊介のインスタグラム(kujidai24) - 1月12日 15時41分


『去年』

厳しい1年だった。メンバーが踊れなくなった、4月卒業。きつかった。6月、もう1人、ステージに立てなくなった、来年、卒業。4人でスタートしたブレイクが、形を変える、想像が難しかった。単純に、キツイ。もし、てんしょう、純平が支えてくれなかったら、今日まで戦えなかった。ありがとう。りょうや、柔和に優しく支えてくれた、ありがとう。受け止めてくれた社長、会社のみんな、本当にありがとうございます。 『悩み』

俺は何の為のリーダーだろうか。頼りっきりだったのが災いして、負担を周りにかけてしまってたのか。リーダー、辞めるべきか。いつからか、心ここにあらずになった。考える、ステージにいる意味を。なにがしたいのか、何の為に生きるのか、なにをあなたたちに伝えるのか。そんな中ひたすらメンバーは今まで以上にリーダー扱いしてくれた、気づかれたんだろうな、優しい言葉がとても痛かった。今までにもらった言葉、手紙に触れてみる。ファンに頼りたくなった、自分自身で決着がつかなくなっていたから。時が戻る、あの時、この時、記憶を取り戻すように文字を指が辿る。 『気付き』

感謝されたこと
楽しませてくれてありがとう
続けてくれてありがとう
夢を追いかけさせてくれてありがとう
この仕事を選んでくれてありがとう
新メンバーを選んでくれてありがとう
好きでいさせてくれてありがとう

あなたたちが一番願ってくれてる事 『好きな事をやる俊くんが好き』

俺は先輩に連絡した。同じように
戦っている人。びっくりさせて
すみません。でもその時、
俺にはあなたしか頼れなかった。 『11月』

先輩は伝えてくれた。

ぬるま湯にいるんじゃない。
安定なんかするな。
行動を起こせ。
人は両手にひとつずつしか
物は持てない。仕事と、やりたい事を
両立させるには、安定は取れない。
じゃあおまえはその両手に
なにを選ぶ?

ああ、

覚悟ってなんだろう。
人から与えられた覚悟は
覚悟じゃない。

そして導きだす 『覚悟って自分で決めるものだ』

そのあと一生分自分と向き合う12月が始まった。 『人生』

6年間振り返える。
いや、その前を振り返る。
小さい頃
人となにかを合わせるのが苦手だった。
学校、みんなと同じ授業、出来ない。
授業のダンス、合わせれない。

勉強もできない、親もいない、洗濯、ご飯すら食えない。もちろん身体は細い小さい、人と話さないから声も小さい、声帯は成長の時期を過ぎた。

#

音楽に触れたのは施設、w-inds.のアルバムがあった。中学で入った施設には、古いCDが並んでいた、ほかにやる事もなかったから毎日同じアルバムを聴く。ジャケットの3人の写真が、なんとなく自分に重なる。憧れた。周りにはアザだらけの子供たち、俺も、周りからしたら同じだ。施設ってツライな。もう少し、自由でいさせてほしいな。決められた寝る時間、起きる時間、勉強する時間、唯一音楽を聴く時間、それだけが自由でいれた。その時だけが恵まれた少年だった。ステージに立ってみたいって夢を見つけた。

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中学高校、引き取られた老夫婦に息子として迎えてもらえた。あなたは最後の私達の息子だと、血の繋がりのない兄貴が5人できた。全員色黒で俺と真反対、弟が出来たと、俺を受け入れてくれた。引き取られた手前、毎日新聞配達した、なにかチカラにならないとって思うくらいには成長していた。高校卒業後、そのお金を俺にくれた。貯めてくれたんだね。家を出ていってもあんたは6番目の息子だからね。その言葉のお礼を言う日は20歳の成人式の時だった。2年かかったよ。俺は手紙を書いて、伝えた。俺を育ててくれてありがとう。好きな事でご飯を食べてくれるのが私達の望みだよ、頑張りなさい。いま、なんとかやってるよ。ありがとうね。 『両手になにを選ぶ?』 ただ生きるだけは、出来ない。
好きな事で、生きたい。
やりたい事を、やりたい。

あの日、ただの少年を
救ってくれた音楽を、今度は
俺が作りたい。

6周年ライブ
2/28 多分これが最後の砦。
500人達成したことはないけれど、
なにも覚悟がないまま生きるのは
安定だと思う。なら、俺は安定を捨てる。

やりたい事を握りしめたいから。

達成したら、俺が、俺たちが
やりたい音楽をやりたいんです。
達成しなかったら、その時は
終わる覚悟をします。

社長は真剣に目を逸らさず聞いてくれた。
本当にありがとうございます。

俺の覚悟を聞いてくれた
メンバーにも、頭が上がりません。
ありがとう。本当にありがとう。

俺、やるよ。 『2020』

1月。俺が生まれた月。
生誕祭。サプライズと愛に包まれた
特別な空間だった。最高に生きていられた。
ありがとう、久しぶりに本音で話したよ。拙い言葉を聴いてくれてありがとう。自分自身で自分を見てるようなライブになったな。そんなワガママな内容だったかも。

奇跡と信じているからこそ僕は
この言葉を言う 『生きよう』

26日大阪もよろしくお願いします。


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2020/1/12

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