久積篤史のインスタグラム(hisatsumi) - 9月3日 02時16分
知識 学歴 人脈 経歴 そんなのは、一切関係ない。
即断 即決 速攻。
久積篤史 (ヒサツミアツシ)
昭和59年5月30日 生まれ
徳島県で生まれ、すぐさま親が離婚しその後に大阪、岐阜、名古屋、と転々としました。
母についていったため、母は僕と姉のことを気遣い、再婚離婚を繰り返しました。
でも一度も母を憎んだことはありません。
今までに名字も4回変わり、今日からお父さん、今日からお兄ちゃんなどということは当たり前でした。
僕は正直、家族という あたたかさ を知りません。
小学校ではいじめられた経験があるし、中学校では非行、暴走族やギャングにも入りました。
いわゆる ”普通の子” ではなかった訳です。
僕が22歳であった当時のことをお話しします。
当時の僕は、クラブに毎日出入りする ” 日本の人口にも数えられていないような
今が楽しければいい ”
というダメ人間でした。
見ためはギャル男。
経験したことのある仕事は、
アパレル、キャッチ、ホスト、キャバクラのボーイ、
宝石販売、エステの勧誘 などなど。
ときには渋谷の109でSHOP店員として働いたこともありました。
そんなときにあることがきっかけで起業することを志します。
しかし、僕には学歴もなければ
コネもないし
経験もないし
金もない。
あるのはやる気と鋼のような情熱だけ。
行動してから考えろ。
とりあえずやるしかねえ。
ここで綴ることはできないのですが、リアルにお逢いさせて頂いている人には
全てを知って欲しいが為に必ずお話ししていることで知っている方もいることでしょう。
その あるきっかけ で僕の人生での価値観が逆転することになります。
自業自得。
勉学に励むこととなる日々、
3年間へと突入です。
それからというもの毎日が仕事と勉強。
新聞を毎日2紙は読み、経済の勉強をし、本を読み漁る日々が続きます。 ” 成功するんだ ”
と天に向かって想い、願い、抱き続けます。
そしてその習慣を3年間続け、その間に自分なりに少しづつ考えもまとまり、
企画書や事業計画書も作ったりもしましたし、情報処理の資格も取得したりもしました。
はじめは小さなビジネスからでいい。
後に大きくなるんだ、
笑いたければ笑えばいい
俺は絶対にブレないから。
その後は、何が起きても大丈夫だという根性と、何事にも順応できる人間が、結果的に形成されることとなった期間でもありました。
乗り越えられた理由はやはり、
母の涙を思い出せば、自分には涙を流す資格もなかったからです。
その後、実父の会社も蹴り、ちょうど今から4年ほど前に鞄一つで上京します。
父は政治新聞の会社を継いできていますし、僕の親戚も青色LEDを開発した会社、日亜化学工業の創業者であることは重々承知していたので、その家系を蹴って一人で上京することは他の人間からみたらアホだとは思いますし、普通に継いでいればなに不自由することはなかったでしょう。
でも、俺はそれでも0から未開拓の地でどこまでいけるか勝負したい。
我が強いんでしょうね。
はじめは 営業できない人間なんて仕事はできない と考えていたために
新宿にある不動産投資の会社に従事することになったのですが、 ” なんか違うな ”
という考えになり、1ヶ月で退社。
名刺を自分で作って仕事をもらえば何だってできる!
という考えに至り、個人事業をスタート。
満喫生活をした日々があったのも事実です。
続く ➡︎ #遂にSTART #久積篤史一番弟子募集 #2015
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2015/9/3